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一八一二年戦争【せんはっぴゃくじゅうにねんせんそう】

日本大百科全書(ニッポニカ)

一八一二年戦争
せんはっぴゃくじゅうにねんせんそう
War of 1812
1812年にアメリカ合衆国とイギリスとの間で起こった戦争。米英戦争英米戦争ともいう。直接の原因は、ヨーロッパでのイギリス・フランス間の戦争により、中立国としてのアメリカの貿易が多大な被害を受けたこと、そしてイギリスが公海上でアメリカの船舶から強制徴募を行ったことにある。しかし、重要な要因として、当時台頭しつつあった西部や南部出身の若手議員たちが、北西部や南西部、フロリダへの進出の障害と考えた先住民(アメリカ・インディアン)の排除を強く望んでいたことがあげられる。彼らは、インディアンに対するイギリスの援助や、フロリダを領有するスペインがイギリスと同盟していた事実を理由として、対イギリス戦争を強硬に主張した。H・クレイやJ・C・カルフーンらの強硬論者に突き上げられた形で、1812年6月18日、アメリカはイギリスに宣戦を布告した。
 2年半に及ぶ戦争で両者とも決定的な勝利を得られなかった。イギリスは、ヨーロッパでの戦争のために新大陸に十分な兵力を送り込めなかった。一方アメリカは、準備不足に加えて、戦争末期にハートフォードで反戦会議を開いたニュー・イングランドの連邦派のような戦争反対勢力を内に抱えていた。アメリカは、まずカナダ侵攻を企てたが、初期の軍事指導者の無能もあり失敗した。しかし、1814年秋にはシャンプレーン湖でイギリス軍を破り、和平交渉に影響を与えた。東部での戦いはイギリスに分があり、14年5月にはニュー・イングランドを含む東部海岸全域が封鎖され、同年8月には首都ワシントンが占領され、焼き打ちを受けた。一方、南部におけるアメリカ軍は、A・ジャクソン将軍の手腕によって戦局が好転し、14年3月には先住民クリークに大打撃を与え、翌年1月のニューオーリンズの戦いではイギリス軍を撃退した。和平への道は戦争開始直後から探られていたが、14年6月からベルギーのガン(ヘント)で正式な和平交渉が始まり、同年12月24日にガン条約が締結された。
 しかし、この条約では戦争前の国境の復活が決められたのみで、戦争の直接原因であった中立国の権利や強制徴募の問題は、なにも解決されなかった。とはいえ、この戦争によって、アメリカ国内では、戦争に反対した連邦派が衰退し、ナショナリズムが高揚して、国内工業の発達が促進された。また、カナダ侵攻は失敗したものの、北西部や南部の先住民の勢力が弱まり、西漸運動が助長されるとともに、1819年のスペインからのフロリダ割譲への道が開かれた。[竹本友子]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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