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万里の長城【ばんりのちょうじょう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

万里の長城
ばんりのちょうじょう
Wan-li chang-cheng; Wan-li ch`ang-ch`eng
中国北辺に築かれた長城。春秋・戦国時代の列国は,外敵侵入を防ぐために国境に長城を築いていた。始皇帝は,北方匈奴の侵入を防ぐため秦・などが築いていた長城を始皇 33 (前 214) 年蒙恬 (もうてん) に命じて増改築させ,西は臨 洮 (カンスー〔甘粛〕省) からホワン (黄) 河の西方を北上し,インシャン (陰山) 山脈に沿って東方に延び,リヤオトン (遼東) のナオピン (襄平) 付近にいたる約 1500kmの長城を構築した。のちに華北や東北地方では 100~150km後退し,隋代の頃ほぼ現在の位置に変わり,明代に従来の土城から煉瓦造りになった。現在の長城は東はシャンハイコワン (山海関) から西は甘粛省のチヤユイコワン (嘉峪関) にいたる 2400km,高さ6~9m,幅は上部 4.5m,部 9mで歴史上世界最長の建築物である。この長城一帯が長城地帯と呼ばれ,南北民族の交錯の場所となった。 1987年世界遺産の文化遺産に登録。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

ばんり‐の‐ちょうじょう〔‐チヤウジヤウ〕【万里の長城】
中国本土の北辺に築かれた長大な城壁春秋時代斉(せい)燕(えん)趙(ちょう)魏(ぎ)などの諸国が国境に築いたもので、始皇帝匈奴(きょうど)の侵入を防ぐために燕・趙の長城を用いて万里の長城とした。南北朝時代から位置を南に移し、現存のものはモンゴルの侵入に備えて代に築かれたもの。河北省山海関から甘粛省の嘉峪(かよく)関に至り、全長約2400キロメートル。高さ約6~9メートル、幅約4.5メートル。1987年、世界遺産(文化遺産)に登録された。長城。
[補説]中国政府は2009年、重複して建てられたり分岐したりした部分、また天然の地形を利用した部分を含めると、明代の長城の総延長は8851.8キロメートルであると発表。2012年には秦・時代のものも含め2万1196.18キロメートルと発表した。

出典:小学館
監修:松村明
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世界遺産情報

万里の長城
世界最大の建築物、万里の長城は中華人民共和国にある遺跡です。東は河北省、渤海湾の山海関から西は甘粛省の嘉峪関まで、全長6000キロメートルの大城壁。紀元前に北方民族の侵入を防ぐために城壁を造ったのがその始まりで、秦の始皇帝が30万の軍兵、数百万の農民を動員し、修復、連結したといわれています。その大きさから「月から見える唯一の建造物」とも言われていましたが、2004年12月8日に宇宙空間から肉眼で観測することはできないと中国科学院により否定されました。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。

出典:KNT近畿日本ツーリスト(株)

世界遺産詳解

ばんりのちょうじょう【万里の長城】
1987年に登録された中国の世界遺産(文化遺産)。東は渤海湾に臨む河北省山海関から西は甘粛省の嘉峪関まで、総延長約1万2000kmに及ぶ長大な城壁である。現在の中国の行政区でいえば、河北省、北京市、山西省、陝西省内モンゴル自治区、寧夏回族自治区、甘粛省など16の省・市・自治区にまたがっている。地形の起伏を縫って続く長城の景観は世界的に有名。万里の長城は約2000年の間の歴代の王朝が整備してきた城壁で、明の時代にほぼ現在の形になった。一般に、長城建設は秦の始皇帝の事業であるとされているが、その歴史はさらにさかのぼり、秦による統一以前の春秋時代にも、趙などの北方の国が異民族の侵入に備えるため長城の建設に取り組んでいた。ただし、現存する長城の大部分は明の時代に築かれたものである。その壮大なスケールから、「月から見える唯一の人工の構造物」といわれてきた。2004年に中国科学院によりこれを否定する見解が出されたものの、その後国際宇宙ステーションに滞在する宇宙飛行士が一般のカメラによる宇宙からの長城の撮影に成功している。◇英名はThe Great Wall。中国語で万里はワンリー、長城はチャンチョンと発音する。

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

ばんりのちょうじょう【万里の長城】
中国で外敵防御のために築かれた長大な城壁。現存の長城は明代,とくにその後半期に築造されたもので,東は渤海湾岸の山海関から,中国本土の北辺を西に向かい,北京と大同の北方を経て,南流する黄河を越え陝西省の北端南西に抜けて再び黄河を渡り,いわゆるシルクロードの北側を北西に走って嘉峪関(かよくかん)に至る。地図上の総延長約2700km,あるいはそれ以上といわれ,人類史上最大の建造物とされている。この間,北京の北西,八達嶺付近から居庸関を経て,大同の南,雁門関に至る部分は二重に築かれているほか,2700kmのすべてが同じ構造をもつわけではない。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

万里の長城
ばんりのちょうじょう

中国本部の北側に築かれた防御用の城壁。この城壁は1987年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。その延長は地図の上からは約2700キロメートルであるが、重複している部分を加えるとその倍以上になる(2009年の発表では、現存する明代の長城の総延長は8851.8キロメートル)。

 春秋時代の斉(せい)が領土防衛のため国境に築いたのが長城の起源で、戦国時代の諸国もこれに倣った。秦(しん)の始皇帝は中国統一(前221)後、匈奴(きょうど)の侵入を防ぐため、甘粛(かんしゅく/カンスー)省南部から北へ、黄河(こうが/ホワンホー)大屈曲部の北を巡って東に延び、東北地区の遼河(りょうが/リヤオホー)下流に至る長城を築いたが、なかば以上、戦国時代の燕(えん)、趙(ちょう)などの長城を利用したものであった。この長城の東部の遺址(いし)が東北地区で発見されている。

 前漢の武帝(在位前141~前87)のころ、河西(かせい/ホーシー)回廊を匈奴から守るため、長城を蘭州(らんしゅう/ランチョウ)北方から西に、敦煌(とんこう/トゥンホワン)の西の玉門関まで延長した。南北朝時代には北方民族の活動で長城の位置は南下し、6世紀中ごろ、北斉(ほくせい)は大同の北西から居庸関(きょようかん)を経て山海関に至る長城を築き、隋(ずい)は突厥(とっけつ)、契丹(きったん)に備えてオルドス南辺に長城を築いた。長城が現在の規模になったのは明(みん)代で、モンゴルの侵入を防ぐためであった。ほぼ北斉以来の線に沿ったもので、15世紀の前半には河北(かほく/ホワペイ)、山西(さんせい/シャンシー)の北部の長城が強化され、内長城もつくられてこの付近の長城は二重となり、後半にはオルドス南部から蘭州を経て嘉峪関(かよくかん)までの長城が修築され、16世紀中ごろには大同北西から山海関までが堅固に改修された。

 長城の構造は、古くは版築で、楊柳(ようりゅう)(ヤナギ)やアシなどを束ねて土と交互に重ね、突き固めてある。日干しれんがも一部に用いられていたが、山西方面より東方は明代以後、焼いたれんがで被覆されるようになった。首都北京(ペキン)防衛のためもあるが、モンゴルの侵攻がこの方面で激しかったことを示している。現在観光の対象となっている八達嶺(はったつれい/パーターリン)付近の長城は、高さ8.5メートル、厚さは底部6.5メートル、頂部5.7メートル。頂部上には高さ1.7メートルの連続した凸字状の垣である女牆(じょしょう)を築き、銃眼が開く。また120メートル間隔で墩台(とんだい)(一種の見張り所)が設けられ、軍の駐留と監視に役だてた。

 長城が交通路と交差する要地には堅固な城壁で囲んだ関城が設けられていた。山海関、古北口、張家口、雁門関(がんもんかん)、殺虎口(さっここう)、嘉峪関などがそれである。清(しん)代に入ると長城は軍事的意味を失い、中国本部とモンゴルとの間の政治的境界にすぎなくなった。なお歴史的事実のうえからみると、外敵防御という長城構築の目的はほとんど達成されておらず、単に威圧感を与えた程度といってよかった。

[青木富太郎]

『青木富太郎著『万里の長城』(1975・近藤出版社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ばんり【万里】 の 長城(ちょうじょう)
中国本土の北辺に建設された長大な城壁。遼東湾西岸の山海関から甘粛省の嘉峪関(かよくかん)に及ぶ。春秋戦国時代の諸国が築いた城壁を利用して、秦の始皇帝が構築し、匈奴に対する防御線としたもの。現在のものは明代に整備された。
※玉塵抄(1563)三六「心安いこと万里の長城をきづいたにはるかましたとをしなったぞ」

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社世界史事典 三訂版

万里の長城
ばんりのちょうじょう
中国で北方系民族の侵入を防御するために築かれた城壁
全長約2700㎞といわれる。戦国時代に燕 (えん) ・趙 (ちよう) が匈奴 (きようど) 防衛のために築いたのが起源。秦の始皇帝はこれを基にして,甘粛 (かんしゆく) から遼東 (りようとう) に至る長城を完成したが,これは現在の位置よりはるか北方にあった。その後,南北朝時代から隋代にかけて,現在の位置に築かれ,明代になってモンゴルの南下を防ぐために今日のような堅固なものとなった。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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