●三善清行【みよしきよゆき】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
三善清行
みよしきよゆき
[没]延喜18(918).12.7. 京都
平安時代中期の学者。「きよつら」とも読む。字,三耀。号,居逸。氏吉の3男。母は佐伯氏。巨勢文雄の弟子。貞観 16 (874) 年文章得業生となり,大学少允,少内記を経て仁和3 (887) 年従五位下,次いで大内記に転じ,同4年藤原佐世らと連署して阿衡の勘文を奉った (→阿衡事件 ) 。昌泰3 (900) 年刑部大輔,文章博士となり,『史記』を講述した。また辛酉革命の議を奉り,いれられて延喜と改元された。延喜1 (901) 年大学頭を兼ね,式部少輔,式部権大輔を経て同 14年式部大輔。この年醍醐天皇の詔に応じて律令制崩壊の現状を具体的に述べた意見封事 12ヵ条を奉った。同 16年善法寺を建立,翌年参議に任じられ,次いで宮内卿を兼ね,朔旦冬至 (さくたんとうじ) の賀表をつくり,また深紅の衣服の禁止を奏請した。応永 11 (1404) 年贈正二位大納言。詩,易に長じ,また明法に明るく,延喜5 (905) 年以来『延喜格式』の編集にあたった。『円珍和尚伝』 (902) ,『藤原保則伝』 (907) ,説話『善家秘記』などの著書がある。
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デジタル大辞泉
みよし‐きよゆき【三善清行】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
三善清行 みよし-きよゆき
承和(じょうわ)14年生まれ。文章博士(もんじょうはかせ)兼大学頭(かみ),式部大輔などをへて,参議兼宮内卿,従四位上。善相公と称された。右大臣菅原道真への辞職勧告文,辛酉(しんゆう)の改元を上申した「革命勘文(かんもん)」,政策案「意見十二箇条」で知られる。「延喜(えんぎ)格式」の編集にもくわわった。延喜18年12月7日死去。72歳。字(あざな)は三耀。著作に「智証大師伝」「藤原保則伝」。
【格言など】老いたる人の心は違失すべからず(「藤原保則伝」)
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世界大百科事典 第2版
みよしきよゆき【三善清行】
平安前期の文人官吏。淡路守氏吉の三男。大学で巨勢文雄に師事し,37歳で対策及第して官途についた。893年(寛平5)備中介に赴任した以外は京で大内記,文章博士,大学頭,式部大輔など儒職を歴任し,晩年の71歳でようやく参議兼宮内卿に栄進した。詩文に優れ,《円珍和尚伝》《藤原保則伝》《善家秘記》などを著す。辛酉の年の901年(延喜1)に《革命勘文》を,また914年には《意見十二箇条》を上奏する警世家でもあった。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
三善清行
みよしきよゆき
(847―918)
平安前期の文人官僚。三善氏吉(うじよし)の子で、善相(ぜんしょう)公とも称される。また「きよつら」という訓もあるが、正しくは「きよゆき」。873年(貞観15)に文章生(もんじょうしょう)となり、翌年得業生となり、881年(元慶5)に方略試を受けるが不合格となる。このときの問者が菅原道真(すがわらのみちざね)で、以後清行が道真と立場を異にすることが多いのは、これに起因するとみる説もあるが明らかではない。2年後に37歳で対策に及第し、大学少允(しょうじょう)となる。886年(仁和2)少内記、翌年には従(じゅ)五位下(げ)大内記となる。この年に始まる阿衡(あこう)紛議では藤原佐世(すけよ)らの意見にくみし、橘広相(たちばなのひろみ)を弁ずる菅原道真に対する。893年(寛平5)に備中介(びっちゅうのすけ)となり、初めて地方社会の実情を知り、また政治の生きた理念を学ぶ。この経験はのち914年(延喜14)の意見封事十二箇条に強く反映される。
900年(昌泰3)に刑部大輔(ぎょうぶたいふ)、文章博士となり、右大臣菅原道真に辞職を勧め、ついで明年辛酉(しんゆう)革命の議を上奏し、翌901年に道真左遷後、辛酉革命の勘文(かんもん)を上奏し、延喜(えんぎ)と改元された。ついで大学頭(だいがくのかみ)となり、延喜格式(きゃくしき)の編纂(へんさん)にも参画したが、晩年はとくに目だった活動はなく、917年に71歳で参議・宮内卿(くないきょう)となった。著作には『円珍和尚(えんちんかしょう)伝』『藤原保則(やすのり)伝』『善家秘記』などがあり、歌集として『善家集』(一巻・佚(いつ))があった。
[佐藤宗諄]
『所功著『三善清行』(1962・吉川弘文館)』
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みよし‐きよゆき【三善清行】
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旺文社日本史事典 三訂版
三善清行
みよしきよゆき
平安前期の漢学者・公卿
名は「きよつら」とも読む。文章博士から参議・宮内卿に昇進した。914年醍醐 (だいご) 天皇の命により『意見封事十二箇条』を提出した。詩文に長じ,明法・算道にも明るく,『延喜格式』の編集に参加。ほかに『智証大師(円珍)伝』『藤原保則伝』などの著もある。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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