●三浦半島【みうらはんとう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
三浦半島
みうらはんとう
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉
みうら‐はんとう〔‐ハンタウ〕【三浦半島】
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
世界大百科事典 第2版
みうらはんとう【三浦半島】
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
日本大百科全書(ニッポニカ)
三浦半島
みうらはんとう
神奈川県の南東部に突出した半島。東京湾と相模湾(さがみわん)とを分け、房総半島に対している。行政上は、横須賀(よこすか)、逗子(ずし)、三浦の3市と葉山町(はやままち)に分かれている。JR横須賀線、京浜急行電鉄、国道16号、134号、横浜横須賀道路、三浦縦貫道路が通り、久里浜(くりはま)と金谷(かなや)(房総半島)との間には東京湾フェリー(定期航路)がある。
全域に丘陵性の山地が広がり、長い川や広い平野はない。地質上は、房総半島と同じく新第三紀層に属し、中央の大楠山地(おおくすさんち)(大楠山は242メートル)とこれに並行する古い地塁山地と地溝(ちこう)性の谷がみられ、南の三浦市には平坦(へいたん)な海食台地が広がっている。気候は、相模湾と浦賀水道に臨む南西と南東の沿岸は夏涼冬暖の湘南(しょうなん)気候区に入れられ、東京湾岸は東京湾気候区に入れられる。
古代には、三浦半島には相模国から房総地方へ渡る幹線交通路(古東海道)が開け、中世には三浦氏の荘園(しょうえん)が開かれ、半島のほとんど全域が三浦党の勢力圏となっていた。そして幕府の所在地鎌倉の魚類供給や保養地(葉山、三崎(みさき)、横須賀など)となり、戦乱時には疎開、避難の場所にも利用されていた。江戸時代には三崎と浦賀は江戸の海の関門として重要視され、浦賀には問屋が集まって海上輸送物資の流通基地ともなっていた。浦賀、久里浜は幕末期のアメリカ使節の来航地としても知られる。明治以後、横須賀市は東京の海上防衛基地として軍港となり、第二次世界大戦中には半島全域にわたって軍の諸施設が設けられた。
現在、相模湾岸の逗子、葉山や浦賀水道沿岸は、湘南に続く休養地域、住宅地域となっている。三浦市は三崎漁港の生鮮魚貝の取引のほか、野菜や草花の早期出荷地域、住宅地域となっている。横須賀市は防衛基地となっているが、商工業都市としての発展にも力を注いでいる。近年、半島の漁業は回遊魚を多く加えており、丘陵にはハイキングコースが開けている。三浦半島では京浜巨大都市群向けのレクリエーション地域化が進められ、また、緑地が広く残り、葉山町の丘陵地や大楠山、武山(たけやま)などは首都圏近郊緑地特別保全地区に指定され、海岸の埋立ても強く抑制されている。
[浅香幸雄]
『田辺悟著『三浦半島の歴史』(1979・横須賀書籍出版)』
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
事典・日本の観光資源
三浦半島
出典:日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」
(C) Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
精選版 日本国語大辞典
みうら‐はんとう ‥ハンタウ【三浦半島】
出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「三浦半島」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●三浦半島の関連情報