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上月城【こうづきじょう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

上月城
こうづきじょう
兵庫県佐用町にあった山城。南北朝時代の延元1=建武3 (1336) 年に上月景盛が築いたのが始まりといわれる。その後,赤松氏毛利氏などの支城となったが,羽柴秀吉 (→豊臣秀吉 ) が中国征討に際し,天正5 (1577) 年 11月毛利氏からこれを奪い,尼子氏に付託した。しかし翌年,毛利氏,特に吉川元春猛攻にあって,山中幸盛らの奮戦にもかかわらず落城した。尼子勝久は死亡,幸盛は捕われ,のち備中で斬られた。

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世界大百科事典 第2版

こうづきじょう【上月城】

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日本の城がわかる事典

こうづきじょう【上月城】
兵庫県佐用郡佐用町(旧上月町)にあった山城(やまじろ)。戦国時代の、織田軍と毛利軍との激しい攻防戦の地として有名。築城時期については諸説あるが、一説には、鎌倉時代末期(1300年代)に赤松氏の流れをくむ上月次郎景盛が太平山に砦を築き、後に2代盛忠がこの地に本拠を移したと伝えられている。室町時代には、上月氏、赤松氏、山名氏と、城主が幾度か変遷した。1577年(天正5)、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が毛利攻めのため播磨に入り、「西播磨殿(にしはりまどの)」と称された赤松政範(まさのり)を1万を超す軍勢で包囲し、上月城は落城、政範は自刃した。秀吉は城を尼子勝久(あまごかつひさ)・山中鹿介(やまなかしかのすけ)主従に守らせたが、宇喜多(うきた)軍に攻められ撤退。宇喜田氏は上月十郎景貞に城を守らせたが、またも秀吉軍に攻められ落城した。再び、尼子主従が上月城に入ったが、翌年、毛利の大軍に城を包囲された。援軍の秀吉・荒木村重(むらしげ)軍は三木城攻略のため撤退し、上月城は孤立した。尼子勢は全滅し、生き残った山中鹿介は毛利方に護送される途中で謀殺された。上月城はその後廃城となった。現在は、土塁・石垣・空堀などの遺構が残り、本丸に赤松氏の供養塔、麓には尼子氏の供養塔がある。上月城から1.5km離れたところに上月歴史資料館があり、上月城の歴史を展示している。JR姫新線上月駅から徒歩15分。

出典:講談社
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