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下町【したまち】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

下町
したまち
downtown
都市の商工業地域のうち,おもに低地に発達した地域。職住近接形態が多く,人口密度も高い。東京の場合は,赤羽から品川を結ぶ京浜東北線をとして,その東方に広がる低地 (隅田川神田川流域など) のことで,山ノ手の住宅街に対していう。現在も日本橋,神田,浅草などには,江戸時代からの町屋の伝統をひく商工業者が多く住んでいる。人情厚いなど独特の生活情緒をもつとされる「江戸っ子」は,この地域に住む人たちをさす。東京においては,低地であっても,丸の内霞が関など江戸城の外堀内部であった地域は,下町には含まれない。英語の downtownは,同じように水陸交通に恵まれ,商工業地域として発達したことから,下町と訳されることがあるが,現在の意味は都心ないし中心商店街である。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

した‐まち【下町】
都会で、土地の低い所にある町。多く商工業地になっている。東京では浅草・下谷・神田・日本橋・京橋本所深川などの地域をいう。「下町育ち」⇔山の手

出典:小学館
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デジタル大辞泉プラス

下町
1957年公開の日本映画。監督千葉泰樹原作林芙美子脚色:笠原良三ほか。出演:山田五十鈴、亀谷雅敬、三船敏郎、田中春男、村田知英子、淡路恵子ほか。第12回毎日映画コンクール男優主演賞(三船敏郎)、第8回ブルーリボン賞助演女優賞(淡路恵子)受賞

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

したまち【下町】
広義には都市の低いほうにある町をいうことばで,高台を指す山手対語である。東京(江戸)では京橋,日本橋から神田,下谷,浅草方面に町家が多く,人口の密集した地域が低地にあったことから,狭義にはこの地域を指す。また,都市の商工業に従事する町家が多い地域一般を指すこともある。東京の低地が山手との対比で下町と呼ばれるようになったのは17世紀であるといわれ,吉田東伍は《大日本地名辞書》で,〈江戸の山手,下町〉という呼称の起こりは,徳川家康の江戸開府のころにさかのぼれるのではないかと推測している。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

下町
したまち

都市の商工業地域でおもに低平な沖積地域を、山手(やまのて)の住宅街に対して下町という。東京都では区部のうち、東部の低平な沖積地の部分をいう。赤羽(あかばね)から品川を結ぶJR京浜東北線をほぼ境として、その東方に広がる地域。狭義には江戸時代に町屋を形成し、1878年(明治11)に区制を敷いた地域で、現在の千代田、中央、港、台東(たいとう)、江東(こうとう)、墨田(すみだ)の各区の低地部をさす。

 世界的にみても、下町と語源的に近いダウンタウンは水陸交通に恵まれ、商工業地域として発達し、中心商店街、都心を意味する語に用いられている。東京においても、下町は江戸時代から商工業の発達した町人の街で、山手の住宅地と対応している。

 以下、東京の下町について述べる。

[沢田 清]

自然

山手が洪積世(更新世、約100万年前から1万年前までの地質時代)に堆積(たいせき)された洪積層からなる洪積台地であるのに対し、下町は沖積世(完新世、1万年前から以後)に堆積された沖積層からなる沖積低地である。東京層とよぶ洪積層が砂質で黄褐色であるのに対し、有楽町(ゆうらくちょう)層などとよぶ沖積層は泥質で青灰色を呈し、多くの貝化石や腐植物が含まれている。縄文前期に海が進入して下町は海面下となったが、中期から海が退き始めて陸化し、標高1~4メートルの低地となった。しかし、昭和以降の急速な工業化に伴い、地下水の過剰なくみ上げによって地盤が収縮して沈下し、ゼロメートル以下の所が広がった。地盤が軟弱なため、関東大震災では、山手での全壊率5%以下なのに対し、下町では沖積層が厚いほど全壊率が高く、隅田(すみだ)川、荒川の埋没谷では50%以上にも達した。1970年代に入ると、法律や条例により地下水のくみ上げに対する規制が行われ、以後、地盤沈下は鎮静に向かっている。

[沢田 清]

歴史

1590年(天正18)徳川家康入府のとき、下町のうち隅田川以東は低湿地が多く、江戸城の東側は日比谷(ひびや)入り江とよぶ海であった。家康は城下町の建設を目ざし、1593年(文禄2)以後日比谷入り江の埋立てを始めた。それが現在の大手町、丸の内、日本橋、京橋、銀座で、整然とした道路網がみられる。丸の内は当時大名小路とよばれ25の藩邸があり、親藩、譜代(ふだい)大名が居住したのに対し、日本橋、京橋、銀座は町人の商業地として発展した。下町には多くの水路があり、河岸(かし)とよぶ船着場が各所につくられた。隅田川沿いには米蔵(こめぐら)、材木蔵など幕府の倉庫が、その下流に米、雑穀、肥料、油などを取り扱う問屋、倉庫の街ができ、日本橋には魚市場が立った。1657年(明暦3)の明暦(めいれき)の大火後、新しい町づくりとして隅田川以東が開発され、大名の別荘、町屋、木場(きば)などで発展するようになった。明治以後、丸の内は陸軍用地となったが、三菱(みつびし)に売り渡し、1914年(大正3)東京駅開設を機に業務ビル地区となり、銀座が繁華街となった。台東・中央区は問屋を中心とする商業および日用雑貨の中小工業地区として継続されるが、隅田川以東の江東地区は近代工業の移植が行われ、近代工業地区として発展した。第二次世界大戦後、近代工業は安くて広い土地を求めて移転し、跡地は高層ビルの住宅地などに変わった。

[沢田 清]

特色

山手がサラリーマン中心の住宅地で移動が多いのに対し、下町は自営の商工業者が多くかつては移動することは少なく、江戸の伝統、気質をよく残していた。自分の町を愛し、粋(いき)を尊び、江戸っ子のべらんめえことばや「宵(よい)越しの金は持たない」気風、心に思っていることは隠さず、ポンポンいって、あとはさっぱりする気質を今日に伝えている。神田明神、三社(さんじゃ)(浅草)、深川などの祭りを盛んにし、つげ櫛(ぐし)、江戸玩具(がんぐ)、足袋(たび)、江戸小紋(こもん)などの伝統工芸を残し、佃煮(つくだに)、海苔(のり)、人形焼などの名物をたいせつにし、さらに藪(やぶ)・更科(さらしな)・砂場(すなば)のそば、築地(つきじ)のすし、新橋のてんぷら、駒形(こまがた)のどぜう(どじょう)など江戸の味を自慢する。関東大震災、さらに第二次世界大戦で多くの古い建築を失い、大半が焼失した。しかし、随所に焼失を免れた下町情緒の濃い町並みをみることができる。人形町、浜町(はまちょう)、佃島(つくだじま)、浅草、向島(むこうじま)、富岡(とみおか)などはその典型である。しかし、自動車の急激な発展によって多くの水路が埋められ、水を失ったことは寂しい。

[沢田 清]

下町の変容

前述の通り、下町を狭義にとらえると、下町は隅田川以西を中心として6区をさす。しかし、東京の市街地の拡大に伴ってその範囲も広がり、江戸川以西までも加わり、一方、北方向にも拡張した。すなわち、上記6区に足立・葛飾・江戸川そして北・荒川各区が包含されて、広義にとらえられることもある。

 東京駅を中心として、旧丸ノ内ビルや旧国鉄本社跡地などにはオフィスやホテルの入居する高層ビル群の建設が進められている。また鉄道発祥の地である旧新橋駅のあった汐留(しおどめ)地区も31万平方メートルの面積に巨大なオフィス街の建設が着工され、継続的な街づくりをコンセプトに発展を続けている。2011年(平成23)、丸の内・大手町、日本橋・京橋、銀座、新橋・虎ノ門などの各地区は東京都心・臨海地域としてアジアヘッドクォーター特区に指定された。その他、品川駅周辺、千代田区の低層住宅地区、中央区の百貨店跡地などでも高層ビル化が進められている。この高層ビル進展の背況には、都心部の機能の変化がある。かつては中枢管理機能のビルが中心であったが、経済の高度化によって知的生産機能も加わり、都心も生産の場となった。そして、高度技能者は生産の質を高めるために、職住近接を望むようになった。そのため、高層ビル内には賃貸住宅も多い。また、1990年代に入って地価が下落したことも、高層ビル建設に拍車をかけた。

 2012年には墨田区に、高さ634メートルの東京スカイツリー(世界一高い自立式電波塔)が電波塔・観光施設として開業した。周辺に商業施設やオフィスビルなどが併設され、これらを含め東京スカイツリータウンと通称される。

 東京湾岸には、ウォーターフロントの「臨海副都心」が計画された。超近代的なオフィスビル、商業施設、スポーツ施設、高層住宅や学校などがすでに建ち始めている。「職・住・学・遊」の融合を目標として、新交通システム「ゆりかもめ」、東京臨海高速鉄道「りんかい線」の2本の鉄道と幹線道路が都心に結び付いている。

 隅田川を中軸として「川の手」と呼称する人もいる。「川の手」は「山の手」に対する名称である。いずれにしても河川が多く、その親水性を確保してアメニティ(快適性)と防災性を高める試みが、見沼代(みぬまだい)親水公園(足立区)をはじめ中川(葛飾区)、古川(江戸川区)、大横川(墨田区)などに沿ってなされている。一方、北・荒川・足立・葛飾・墨田・江東・江戸川各区では、小工場が多いが、閉鎖したり地方への分散も目だち、工場跡地の集合住宅化が進んでいる。かつては小規模な伝統工業がほとんどであったが、工業の高度化が進んでいる。たとえば、台東区や墨田区などのファッション関連産業(衣服・靴・ハンドバッグ・装飾品など)に代表されるように新しい工業への転換もみられる。

 東京の人口が増えて、人口の地域間移動や空間利用の変容などが著しくなるとともに、人口の空洞化によって自治会などを通しての共同体意識も低下し、下町という概念は地区内外の人々の意識から薄らぎつつある。

[高橋伸夫]

『朝日新聞社編・刊『東京・下町』(1987)』『那和秀峻著『隅田川――流れに映る下町の哀歓』(1987・東京新聞社出版局)』『八木澤壮一他著『都心の土地と建物――東京・街の解析』(1987・東京電機大学出版局)』『横田貢著『べらんめぇ言葉を探る』(1992・芦書房)』『野村圭佑著『隅田川のほとりによみがえった自然』(1993・プリオシン)』『諸河久写真、林順信文『都電の消えた街――東京今昔対比写真(下町編)』(1993・大正出版)』『新潮社編・刊『江戸東京物語(下町篇)』(1993)』『町村敬志著『「世界都市」東京の構造転換――都市リストラクチュアリングの社会学』(1994・東京大学出版会)』『芦原義信著『東京の美学』(1994・岩波書店)』『春風亭小朝・秋元康他著、荒木経惟・高梨豊他写真『私だけの東京散歩(下町・都心篇)』(1995・作品社)』『田沼武能著『下町今昔物語――田沼武能写真集』(1996・新潮社)』『桐谷エリザベス著、桐谷逸夫訳・画『消えゆく日本――ワタシの見た下町の心と技』(1997・丸善)』『北畠康次著『歴史資料 東京下町の範囲の変遷図』(1997・メグミ出版)』『加藤昌志写真『「深川・木場」下町のぬくもり』(1998・人間の科学社)』『荒俣宏著、安井仁写真『江戸の快楽――下町抒情散歩』(1999・文芸春秋)』『山下宗利著『東京都心部の空間利用』(1999・古今書院)』『『ウォーキングナビ東京 山手・下町散歩』(2001・昭文社)』『石井實著『東京 写真集・都市の変貌の物語1948~2000』(2001・KKベストセラーズ)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

した‐まち【下町】
〘名〙 都会で、高台の上町に対して、低地にある町。商工業に従事する町家が密集しているあたり。特に、江戸で、武家屋敷や寺社の多かった山の手に対して、芝、日本橋かいわいから京橋、神田、下谷(したや)、浅草、本所、深川方面の町家の多い地区をいう。現代では、山の手の住宅地区に対して、その東に広がる低地一帯を呼ぶこともある。江戸時代の風情を残し、住む人の庶民的であけっぴろげな気風(きっぷ)や人情味を特色とする。
※俳諧・談林十百韻(1675)下「朝戸明て看板てらす日の烏〈一鐡〉 膏薬かざる森の下町〈松意〉」
[語誌](1)語源説としては、「御府内備考‐六」に「按に、下町は御城下町と称せる略なるべし」とあるところから、「御城下町」の略とする説がある。
(2)現在では「山の手」と対になることばであるが、かつては「海手」という言葉があり、ある段階で、「海手」「山の手」という対立が、「下町」「山の手」という対立に替わったらしい。
(3)古い例としては、寛文二年(一六六二)一一月の小川新田(武蔵野台地のほぼ中央)の訴状に見られる「新田に而瓜作少宛仕候、下町瓜といやかしにて壱間山之手に壱間御江戸に瓜といや二間」があげられる。ここでは、「かし(河岸)」が「山の手」と対で用いられており、「下町」は江戸ととらえられていたことがうかがえる。
(4)範囲については、「御府内備考」に「日本橋川筋より北の方、神田堀内に属する町名並里俗呼名、此辺おしなべて下町と云」とあり、「江戸府内絵本風俗往来」には「日本橋より数町四方、東は両国川、西は外濠、北は筋違橋・神田川、南は新橋の内を下町と唱え」とある。また、宝暦七年(一七五七)頃、白山、牛込、浅草の人々にとって、神田・日本橋の辺は「下町」であり「江戸」であったのが、文化一一年(一八一四)には、白山・牛込・浅草も神田・日本橋と同一地域だと考えるようになったことがうかがえる。

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しも‐の‐ちょう ‥チャウ【下町】
京都、島原遊郭内の町名。遊郭の西北の隅にあって、揚屋町の北にあたる。三筋町の一つ。

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