@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

並木宗輔【なみきそうすけ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

並木宗輔
なみきそうすけ
[生]元禄8(1695)
[没]宝暦1(1751).9.7. 大坂
浄瑠璃,歌舞伎狂言作者。元禅僧。還俗して豊竹座の浄瑠璃作者となり,享保 11 (1726) 年西沢一風らと合作の『北条時頼記』で成功。以後立作者として,豊竹若太夫 (越前少掾) のために傑作を生み,豊竹座を隆盛に導く。初め安田蛙文,次に並木丈輔との合作が多く,『苅萱桑門筑紫 (かるかやどうしんつくしのいえづと) 』などを書いたほか,単独作『和田合戦女舞鶴』などを発表。寛保2 (42) 年,歌舞伎作者に転向し,『大門口鎧襲 (おおもんぐちよろいがさね) 』では大当りをとった。延享2 (45) 年浄瑠璃界へ復帰,竹本座へ入座,千柳と改名。2世竹田出雲三好松洛らとの合作が多いが,実質的立作者として,浄瑠璃全盛期の最高傑作を次々に発表した。『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』などがある。宝暦1 (51) 年豊竹座に復帰。『一谷嫩軍記 (いちのたにふたばぐんき) 』3段目が絶筆となった。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

なみき‐そうすけ【並木宗輔】
[1695~1751]江戸中期の浄瑠璃作者。大坂の人。別名助・千柳。西沢一風弟子であったが、還俗して豊竹座および竹本座で立作者として執筆竹田出雲三好松洛との合作が多く、浄瑠璃全盛期をもたらした。代表作「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」など。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

並木宗輔 なみき-そうすけ
1695-1751 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)作者,歌舞伎作者。
元禄(げんろく)8年生まれ。大坂の人。もと臨済(りんざい)宗の僧。享保(きょうほう)11年師の西沢一風,安田蛙文(あぶん)との合作「北条時頼記(ほうじょうじらいき)」が評判となる。のち2代竹田出雲(いずも),三好松洛(しょうらく)らとの合作でおおくの作品をのこした。寛延4年9月7日死去。57歳。通称松屋宗助。別号に千柳(初代),市中庵。作品に「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」「義経千本桜」など。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

なみきそうすけ【並木宗輔】
1695‐1751(元禄8‐宝暦1)
浄瑠璃作者。別号千柳,市中庵。家名松屋。もと備後三原の臨済宗成就寺の僧で,断継と称し(角田一郎《並木宗輔伝の研究》),還俗して豊竹座の作者となる。西沢一風門人と伝えるが,あるいは1725年(享保10)に豊竹座を辞した田中千柳の門人か。
[豊竹座時代]
 1726年にはじめて西沢一風,安田蛙文と《北条時頼記》を合作,9ヵ月続演の大当りをとり,以後,一風に代わる豊竹座の立作者となり,32年までに蛙文を脇作者として14編を著す。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

日本大百科全書(ニッポニカ)

並木宗輔
なみきそうすけ
(1695―1751)

江戸中期の浄瑠璃(じょうるり)、歌舞伎(かぶき)作者。別号千柳(せんりゅう)。若いころは僧で、30歳ころ還俗(げんぞく)して豊竹(とよたけ)座の作者となり、並木宗助(のちに宗輔)と称した。1726年(享保11)『北条時頼記(じらいき)』で大当りをとり、以来立(たて)作者となって活躍し『苅萱桑門筑紫いえづと(かるかやどうしんつくしのいえづと)』『釜淵双級巴(かまがふちふたつどもえ)』『鷓山姫捨松(ひばりやまひめすてまつ)』などを発表。42年(寛保2)から歌舞伎作者に転じて『大門口鎧襲(おおもんぐちよろいがさね)』などを書いたが、45年(延享2)に浄瑠璃界に復帰、豊竹座と対立していた竹本座の作者となって並木千柳と改め、竹田出雲(いずも)、三好松洛(しょうらく)らとの合作で『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』『夏祭浪花鑑(なにわかがみ)』『双蝶々曲輪(ふたつちょうちょうくるわ)日記』などの名作を執筆、人形浄瑠璃全盛期を飾った。なおこれらは初世および2世の出雲が立作者となっているが、実質的には千柳の筆になるものと考えられている。晩年は宗輔の名に復して豊竹座に帰り、『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』を執筆中病没した。生涯の作は浄瑠璃が47編、歌舞伎は10編前後ある。その作風は複雑な筋立てが得意で、歌舞伎の手法を取り入れたスペクタルに富むところが多い。門弟が多く、並木姓を名のる浄瑠璃・歌舞伎作者の祖である。

[山本二郎]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

なみき‐そうすけ【並木宗輔】
江戸中期の浄瑠璃・歌舞伎作者。通称松屋宗介。僧であったが、三〇歳のころ還俗し豊竹座の作者となる。師西沢一風らと合作した「北条時頼記」が評判となり、以来立作者として活躍。延享二年(一七四五)竹本座に転じ並木千柳と改名し、竹田出雲父子・三好松洛らと浄瑠璃全盛期をもたらした。作品に「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」など。元祿八~寛延四年(一六九五‐一七五一

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社日本史事典 三訂版

並木宗輔
なみきそうすけ
1695〜1751
江戸中期の浄瑠璃作者
大坂の人。豊竹座の座付作者となり活躍。一時竹本座に転じたが,晩年再び豊竹座にもどった。紀海音 (きのかいおん) ・竹田出雲・松田文耕堂と並び浄瑠璃四天王の一人に数えられた。代表作に『双蝶々曲輪日記 (ふたつちようちようくるわにつき) 』など世話物のほか,竹田出雲との合作の『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』など。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

並木宗輔」の用語解説はコトバンクが提供しています。

並木宗輔の関連情報

関連キーワード

安保理決議1695と1718バッハカンファイスカンプハイス桃林堂蝶麿アルノーポール・ロアイヤル運動書店数減少国連安保理決議と議長声明算額と山形

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation