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中原親能【なかはらちかよし】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

中原親能
なかはらちかよし
[生]康治2(1143).京都
[没]承元2(1208).12.18. 京都
鎌倉時代初期の公卿。大江維光の子。大江広元。のち外祖父明法博士中原広季の養子となった。斎院次官,式部大輔,掃部頭,美濃権守。鎌倉幕府草創期源頼朝に招かれて鎌倉に下向し,側近として軍事行政補佐京都守護,政所公事奉行など重職を歴任。のち出家して寂忍と号した。

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デジタル大辞泉

なかはら‐ちかよし【中原親能】
[1143~1209]鎌倉初期の幕臣源頼朝に仕え、幕府創業参与。政所(まんどころ)公事奉行・京都守護などを歴任。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

中原親能 なかはらの-ちかよし
1143-1209* 平安後期-鎌倉時代の武将。
康治(こうじ)2年生まれ。外祖父中原広季(ひろすえ)の養子。のち藤原姓にあらためた。源頼朝の挙兵にしたがって信任を得,平氏追討,奥州攻めにくわわる。幕府の公文所(くもんじょ)寄人(よりゅうど),政所(まんどころ)公事奉行人(くじぶぎょうにん),京都守護をつとめ,朝廷との交渉にあたった。承元(じょうげん)2年12月18日死去。66歳。

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

なかはらちかよし【中原親能】
1143‐1208(康治2‐承元2)
鎌倉前期の武将,官僚。実父藤原光能。外祖父中原広季を養父とし,1188年(文治4)以降中原姓を藤原姓に改めた。相模国に育ち土地の豪族の女を妻とし,源頼朝と親交を結ぶ。84年(元暦1)鎌倉幕府の公文所寄人となり,平氏追討,奥州征討にも従軍した。京都貴族源雅頼の家人でもある親能は公家の情勢に通じ,京都における幕府代表を務めた。99年(正治1)出家。法名寂忍。【青山 幹哉】

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

中原親能
なかはらちかよし
(1143―1208)

鎌倉幕府草創期の功臣。京下りの官人の1人。藤原光能(みつよし)の子。母が中原広季(ひろすえ)の娘であったため外祖父広季の養子となった。のち藤原姓となる。なお、中原広季の子とする説もある。斎院次官(さいいんすけ)、美濃権守(みのごんのかみ)、式部大夫(しきぶのたゆう)、掃部頭(かもんのかみ)。正五位下。法名寂忍。源平内乱時には平氏追討軍に加わって鎮西(ちんぜい)に渡り、1189年(文治5)の奥州征討に際しても現地に赴いて戦後処理にあたっている。幕府の鎮西奉行(ぶぎょう)、公事(くじ)奉行人などを歴任、鎌倉亀谷(かめがやつ)に居を構えて、おもに朝幕間の折衝に努めたが、承元(じょうげん)2年12月18日京都において没した。

[海老澤衷]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

なかはら‐ちかよし【中原親能】
鎌倉初期の幕府の功臣。藤原光能の子。源頼朝の側近として、その執政を補佐した。京都守護、政所の公事奉行人などをつとめ、京都の公家との交渉にあたった。また、鎮西に多くの所領所職を持ち、これらは養子の大友能道に譲られて、のちの大友氏の発展の基礎となった。康治二~承元二年(一一四三‐一二〇八

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旺文社日本史事典 三訂版

中原親能
なかはらちかよし
1143〜1208
鎌倉初期の政治家
大江広元の兄。源頼朝に招かれて鎌倉に下り,草創期の幕政参画。1184年公文所設置の際,その寄人 (よりゆうど) となり,のち京都守護・鎮西奉行となる。頼朝死後頼家・実朝 (さねとも) にも仕え,六波羅在任中京都で死んだ。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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