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中川淳庵【なかがわじゅんあん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

中川淳庵
なかがわじゅんあん
[生]天文4(1739).江戸
[没]天明6(1786)
江戸時代中期の蘭方医。初め純安という。名は鱗。物産学を好み,明和1 (1764) 年,平賀源内とともに石綿火浣布 (かかんぷ) を製作した。翌年,幕府医官となり,同8年から杉田玄白らとともに『解体新書』の刊行に従事した。安永7 (78) 年,若狭藩奥医となる。江戸参府をした C.トゥーンベリに会って医学を学び,帰国後も手紙を往復して教示を受けたが,その手紙がスウェーデンに現存する。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

なかがわ‐じゅんあん〔なかがは‐〕【中川淳庵】
[1739~1786]江戸中期の蘭医。江戸の人。名は玄(げんりん)。本草学・蘭学を学び、杉田玄白らと「解体新書」を翻訳オランダツンベルク交流があった。「和蘭局方」「和蘭薬譜」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

中川淳庵 なかがわ-じゅんあん
1739-1786 江戸時代中期の医師,蘭学者。
元文4年生まれ。若狭(わかさ)(福井県)小浜(おばま)藩医。幼少から本草や博物に興味をもつ。明和元年平賀源内と火浣布(かかんぷ)(石綿布)をつくる。杉田玄白,前野良沢らと協力して「解体新書」を訳した。安永7年小浜藩奥医師。天明6年6月7日死去。48歳。江戸出身。名は玄鱗,鱗。通称は純安,純亭。字(あざな)は攀卿(はんきょう)。著作に「和蘭(オランダ)局方」「和蘭薬譜」など。

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

なかがわじゅんあん【中川淳庵】
1739‐86(元文4‐天明6)
江戸中期の蘭学者。本人はツンベリーあてにSjunnanと署名している。小浜藩医中川仙安(竜眠)の長子として江戸に生まれ,名は玄鱗また鱗,字は攀卿,通称は純安また純亭のち淳庵といった。少年のころから植物に親しみ青年期にはすでに本草家として知られ,薬品会・物産会開催のたびに収集品を出品している。オランダの書物に載るアスベスト(石綿)の本体を同定して友人の本草・物産家平賀源内に教え,秩父山中でそれを採掘して1764年(明和1)火浣布(燃えない布)をつくった。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

なかがわじゅんあん【中川淳庵】
1739~1786 江戸中期の蘭方医。江戸の人。名は鱗。字あざなは攀卿。本草・物産に通じる。「解体新書」の訳業に参加。蘭館医ツンベルグと交流があった。著書「和蘭局方」「和蘭薬譜」など。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

中川淳庵
なかがわじゅんあん
(1739―1786)
江戸中期の医師。江戸で生まれる。初め純安といい、のちに淳庵。名は玄鱗(げんりん)、単に鱗ともいう。字(あざな)は攀卿(はんきょう)。本草(ほんぞう)・物産の学を好み、青年時代からすでに本草家として知られていた。1764年(明和1)平賀源内とともに、武州秩父(ちちぶ)山の石綿を使って火浣布(かかんぷ)をつくり、源内の『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』(1763)に校訂者の一人として名を連ねている。1771年杉田玄白に『ターヘル・アナトミア』の入手を斡旋(あっせん)し、のち『解体新書』の訳述にも参加。山形藩の医師安富奇碩(やすとみきせき)についてオランダ文字を習い、ツンベルクの江戸参府の際、淳庵はしばしば彼に医学について尋ね、ツンベルクも淳庵に日本の植物の名を尋ねている。かなりオランダ語を話したといわれる。1778年(安永7)小浜(おばま)藩酒井侯の奥医師になった。天明(てんめい)6年6月7日没。江戸・小石川金富町金剛寺に葬られたが、その後無縁となり、現在はない。1937年(昭和12)福井県小浜市の高成寺に碑が建てられた。著書に『和蘭(オランダ)局方』『和蘭薬譜』『五液精要』がある。[深瀬泰旦]
『和田信二郎著『中川淳庵先生』(1941・立命館出版部/複製・1994・大空社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

なかがわ‐じゅんあん【中川淳庵】
江戸中期の蘭方医。若狭小浜藩医中川仙安の子。江戸の人。本名鱗、字は攀卿。物産学を好み、蘭学に通じ、平賀源内と火浣布(かかんぷ)を作った。藩医となり、前野良沢・杉田玄白らと「ターヘル‐アナトミア」の翻訳に従事。元文四~天明六年(一七三九‐八六

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旺文社日本史事典 三訂版

中川淳庵
なかがわじゅんあん
1739〜86
江戸中期の蘭方医
若狭(福井県)小浜藩医の家の生まれ。本草学・蘭学に通じ,平賀源内と火浣布 (かかんぷ) (石綿で織った布)をつくった。1765年幕府医官となる。'71年長崎で『ターヘル‐アナトミア』を入手し,杉田玄白・前野良沢らと『解体新書』を翻訳刊行。スウェーデン人ツンベルグに医学・理学を学び,'78年小浜藩奥医となった。著書に『和蘭局方 (オランダきよくほう) 』など。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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