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中村哲【なかむら てつ】

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

中村哲 なかむら-てつ
1946- 昭和後期-平成時代の医師。
昭和21年9月15日生まれ。専門は神経内科学,神経病理学,ハンセン病学,熱帯病学。大牟田労災病院などに勤務後,昭和59年パキスタンのペシャワール・ミッション病院らい病棟担当医。平成6年ペシャワール会医療サービス病院院長,ペシャワール会現地代表。15年ペシャワール会医療サービス病院総院長。同年マグサイサイ賞医療とともに井戸掘削,灌漑用水路建設などの活動もおこなう。25年福岡アジア文化賞大賞,菊池寛賞。福岡県出身。九大卒。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

中村哲 なかむら-あきら
1912-2003 昭和-平成時代の政治学者。
明治45年2月4日生まれ。台北帝大教授をへて昭和21年法大教授となり,43年総長。主権論,君主制,憲法学など幅ひろく展開し,憲法擁護の論陣をはった。44年日本政治学会理事長。58年社会党から参議院議員。平成15年8月10日死去。91歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「日本国憲法の構造」「柳田国男思想」など。

出典:講談社
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知恵蔵

中村哲
日本の医師。パキスタンやアフガニスタンでの医療や農業、水源確保事業などを支援する福岡市のNGO「ペシャワール会」現地代表、現地で医療活動を行う「ピース・ジャパン・メディカル・サービス」(PMS、平和医療団・日本)の前総院長。戦乱や干ばつに苦しむアフガニスタンの人々のために、30年以上にわたって現地で用水路の建設や井戸の掘削、診療所の運営、農業指導などの人道支援にあたった。
1946年、福岡市生まれ。母方の祖父、玉井金五郎は、石炭の積み出しを行う玉井組の組長で、中村の父親はその下請けとして沈没船のサルベージなどを行っていた。玉井の息子で、一族の歴史を題材にした『花と竜』などの著書がある作家、火野葦平は中村の伯父にあたる。中村は生後2年で玉井家の拠点だった福岡県若松市(現在の北九州市若松区)に移り住んだ。
6歳で福岡市の近くの古賀町(現在の古賀市)に引っ越し、古賀西小学校を経て、福岡市の西南学院中学に進学した。中学時代にキリスト教の浸礼を受け、福岡県立福岡高校卒業後は、一浪して九州大学医学部に進んだ。
73年に九州大学医学部を卒業。佐賀県吉野ヶ里町の国立肥前療養所(現国立病院機構肥前精神医療センター)や福岡県内の病院での勤務を経て、78年、福岡の山岳会のヒンズークシュ山脈登山に同行し、初めてパキスタンに入国した。
83年、NGO「日本キリスト教海外医療協力会」によってパキスタン・ペシャワルのミッション病院へ派遣されることが決まり、中村の活動を支援する団体としてペシャワール会が設立された。同病院ではハンセン病の治療にあたり、87年からはアフガニスタン(アフガン)難民キャンプの巡回診療を始めた。89年からはアフガン国内にも活動の範囲を広げ、91年、同国に初の診療所を開いた。その後も次々と診療所をつくり、98年にはパキスタン、アフガン両国の活動拠点として、ペシャワルでPMS病院を開設した。
2000年にアフガンで大干ばつが起こり、乾きと飢えで多くの犠牲者が出たのを機に、医療活動の延長として水源確保事業に乗り出した。土木を独学で学んだ。同年から井戸の掘削を始め、03年からはかんがい用水路の整備事業に着手。建設には複雑な機械を使わず、現地住民らで運用できるように日本の江戸時代の技法を取り入れた。01年の米同時多発テロ発生以降、アフガンの治安が悪化、08年にはペシャワール会のスタッフが武装集団に殺害され、同会は現地にいた日本人メンバーを引き揚げた。しかし中村は現地に残って用水路の建設を続け、10年に完成させた。その後も取水堰(しゅすいぜき)の設置などに取り組み、これまでに約27キロメートルの用水路が開通した。現在、約1万6500ヘクタールを潤し、約65万人の生活を支えている。
中村がパキスタンやアフガンで取り組んできた活動の特徴に、徹底した現地主義がある。現地の文化や風習、宗教などにも敬意を払い、事業を進めた。中村自身はクリスチャンだったが、10年には、アフガンの現地住民らの要望を受けて、用水路のそばにイスラム教のモスク(礼拝所)とマドラサ(学校)を建設した。中村の活動は現地でも高く評価され、19年10月には、アフガン大統領から名誉市民権を授与された。
中村は「(アフガンの)復興は軍事ではなく農業から」という信念を持ち、農業の再生による貧困解消を目指した。米同時多発テロが起きた01年、日本の国会で、自衛隊がアフガン攻撃に動く米国の後方支援を行えるようにする特別措置法案が審議された際は、特別委員会に参考人として出席。「自衛隊派遣は有害無益。空爆はテロリズムと同じレベルの報復行為ではないか」などと意見を述べた。14年に集団的自衛権の行使容認を巡り、安倍晋三首相が海外のNGOの警護などのための自衛隊の任務拡大に言及した際は「自らの主張を通すためにNGOを道具にしている。外交努力で不必要な敵をつくらないことこそ内閣の責任だ」と批判した。
19年12月4日、車で移動中に武装集団に銃撃され、73歳で亡くなった。死因は出血性ショックだった。運転手やスタッフら5人も犠牲になった。
国内外の多くの人々が中村の死を悼んだ。19年12月11日、故郷の福岡市で営まれた葬儀には、1300人超が参列。中村の長男が遺族代表を務め、中村と、ともに亡くなったアフガン人5人を悼んだ。このほかにも、全国各地で追悼集会が開かれた。政府は19年12月、中村に旭日小綬章と内閣総理大臣感謝状を贈った。
ペシャワール会は中村の遺志を引き継ぎ、今後も事業を継続する。
(南 文枝 ライター/2020年)

出典:(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」

知恵蔵mini

中村哲
医師。1946年9月15日、福岡県生まれ。九州大学医学部卒。日本での病院勤務を経て、84年に国際NGO「ペシャワール会」現地代表としてパキスタンに赴任し、パキスタン人やアフガン難民のハンセン病治療などに携わる。2000年にアフガニスタンで大干ばつが発生して以降は、井戸の掘削や灌漑用水路の建設にも尽力した。その功績により、03年にアジアのノーベル賞と称されるマグサイサイ賞を受賞。18年にアフガニスタン政府から勲章を授与され、19年10月には名誉市民権も与えられた。同年12月4日、現地で銃撃を受け死去。享年73。
(2019-12-10)

出典:朝日新聞出版
(C)Asahi Shimbun Publications Inc
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