●中田薫【なかだかおる】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
中田薫
なかだかおる
[没]1967.11.21. 東京
日本法制史学者,法学博士,日本学士院会員。 1900年東京大学法科大学卒業,日本法制史を専攻。『王朝時代の庄園に関する研究』 (1906) は日本法制史研究の基礎を築いた著作。 11年東京大学法科大学教授,46年文化勲章受章。
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デジタル大辞泉
なかだ‐かおる〔‐かほる〕【中田薫】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
中田薫 なかだ-かおる
明治10年3月1日生まれ。ヨーロッパ留学後の明治44年母校東京帝大の教授となり,近代的法制史学を体系化。荘園,入会(いりあい)の研究で知られる。大正14年学士院会員,昭和21年文化勲章。昭和42年11月21日死去。90歳。鹿児島県出身。著作に「法制史論集」「徳川時代の文学に見えたる私法」など。
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世界大百科事典 第2版
なかだかおる【中田薫】
法制史学者。1900年東京帝国大学法科大学卒業後大学院に進み,日本法制史,比較法制史を専攻,02年同助教授,11年教授。法制史の研究と後進の育成に貢献し,46年文化勲章受章。日本の近代的法制史学の建設者として知られる。研究対象は西洋にも及び,時代的にも多岐にわたり,その業績は《法制史論集》4巻(1926‐64)に収められている。とくに荘園に関する研究は,歴史学一般にとっても古典的業績とされ,また江戸,明治初期の村,入会(いりあい)に関する諸業績は法社会学や法解釈学にも影響を与えたものとして著名である。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
中田薫
なかだかおる
(1877―1967)
日本法制史の学者。法学博士。1900年(明治33)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。ただちに大学院に入り、宮崎道三郎教授の下で鎌倉時代の法制を研究。その研究報告として06年に発表した『王朝時代の庄園(しょうえん)に関する研究』は日本史学上の古典とされる。02年に東京帝国大学助教授、11年教授。宮崎博士によって基礎を据えられた日本法制史学は、博士によって体系化された。その研究は日本法制史の各時代各部門にわたるが、江戸時代および明治初年の村および入会(いりあい)に関する研究は、現行法上の入会問題の解明に多大の貢献をした。外国法ことに中国法に関する造詣(ぞうけい)も深かった。25年(大正14)に帝国学士院会員となり、46年(昭和21)には文化勲章を受けた。
[石井良助]
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精選版 日本国語大辞典
なかだ‐かおる【中田薫】
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