●九月三〇日事件【くがつさんじゅうにちじけん】
世界大百科事典 第2版
くがつさんじゅうにちじけん【九月三〇日事件】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
九月三〇日事件
くがつさんじゅうにちじけん
1965年10月1日未明、インドネシアの首都ジャカルタでウントン中佐ら「9月30日運動」を自称する左派勢力が引き起こしたクーデター未遂事件。同事件の性格については、(1)軍の内紛説、(2)インドネシア共産党の蜂起(ほうき)説、(3)軍のクーデター計画に対する共産党の予防クーデター説、などの解釈があるが、スカルノ大統領の役割、中国との関連などとともに謎(なぞ)に満ちている。ただ、事件の直接的背景は、50年代後半に成立した「指導民主主義」体制下の共産党対陸軍の緊張関係にあったことは明らかである。60年代初頭の西イリアン解放闘争、マレーシア粉砕闘争などの急進外交の展開と危機的経済状況が共産党を躍進させた反面、反共派陸軍の危機感を募らせ、一触即発の危機をはらみながらも、スカルノ大統領のカリスマ的権威のもとで両者はからくも均衡を保っていたにすぎなかった。「九月三〇日運動」自体はたちまち鎮圧され、(1)非共産圏最大の300万党員を誇ったインドネシア共産党は徹底的に弾圧され、(2)最大の支持勢力を失ったスカルノ大統領も権威を失墜し、(3)中国との国交が「凍結」されるなど、インドネシア内外政治の右旋回が進行し、東南アジアの政治地図の再編をもたらすところとなった。他方、イスラム派学生など反共勢力を利用しつつ事件鎮圧を指揮したスハルト将軍は、67年には大統領代行、68年大統領に昇格、強大な政治勢力としての陸軍に立脚した「新体制」を樹立するに至った。
[黒柳米司]
『大森実著『スカルノ最後の真相』(1967・新潮社)』▽『D・コンデ著、笠原佳雄訳『インドネシアの変貌――反革命の構造』(1966・弘文堂)』▽『インドネシア共産党中央委政治局、アジア・アフリカ人民連帯日本委員会訳・編『インドネシア革命――血の教訓』(1967・東方書店)』▽『田口三夫著『アジアを変えたクーデター インドネシア九・三〇事件と日本大使』(1984・時事通信社)』
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