●五摂家【ごせっけ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
五摂家
ごせっけ
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デジタル大辞泉
ご‐せっけ【五摂家】
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とっさの日本語便利帳
五摂家
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世界大百科事典 第2版
ごせっけ【五摂家】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
五摂家
ごせっけ
藤原北家(ほっけ)の主流で、摂政(せっしょう)、関白となる5家。五つの摂関家の意。摂関家はすでに平氏政権のもとで近衛基通(このえもとみち)が摂政に推され、ついで鎌倉幕府によって九条兼実(くじょうかねざね)が摂政にあげられ、外側の政治的圧力に左右される状況となり、藤原氏の嫡流は基実(もとざね)の長子基通(近衛)と、兼実(九条)の2流に分かれた。その後、兼実の孫道家(みちいえ)は朝幕の間に勢威を振るい、教実(のりざね)(九条)、良実(よしざね)(二条)、実経(さねつね)(一条)と相次いで摂関となった。ついで摂政となった近衛兼経(かねつね)は嗣子(しし)基平(もとひら)が幼少であったので上表して弟兼平(かねひら)(鷹司(たかつかさ))に摂政を譲り、以後はこれら5家によって摂政・関白は回り持ちとなる。五摂家の確定した時期は、兼平が摂政となった1252年(建長4)10月とされる。
[橋本政宣]
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精選版 日本国語大辞典
ご‐せっけ【五摂家】
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旺文社日本史事典 三訂版
五摂家
ごせっけ
藤原北家道長の流れである近衛・鷹司 (たかつかさ) ・九条・二条・一条の5家のこと。平氏滅亡後,1186年源頼朝の奏請により九条兼実が摂政になって以来,藤原嫡流は近衛・九条の2家に分かれた。その後,鎌倉中期に近衛から鷹司が,九条から二条・一条が分立。江戸末期まで順次摂関となり,明治期に至り華族に列し公爵となった。
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