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五稜郭【ごりょうかく】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

五稜郭
ごりょうかく
北海道函館市北郊の五稜郭町にある城址。江戸時代末期,蘭学者武田斐三郎オランダ築城書を参考にして設計し,箱館奉行所が安政4 (1857) 年着工,7年かかって元治1 (64) 年に完成した洋風平城。面積は約 25万m2。特に周囲の土塁が五角形の星形をしている点が特徴で,この名が生れた。この星形は,射撃の際死角をできるだけ少くする目的で設計されたもの。明治維新のとき,江戸無血開城に際して,海軍総裁榎本武揚らは新政府に対する武器引渡しを拒み,軍艦を率いて箱館に逃れ,五稜郭にって官軍抗戦した。官軍は奥羽・北越戦争に勝利を収めて箱館に進攻し,榎本らは五稜郭を拠点に北海道領有を宣言して同地に士族授産などの施政を行い,場合によってはロシアと提携する気勢を示した。しかし抗戦の末,官軍参謀黒田清隆説得により,明治2 (69) 年5月降伏し,箱館戦争 (→五稜郭の戦い ) は終りを告げた。その後同所は新政府開拓使が管理していたが,まもなく廃棄され,外郭だけを残した。 1922年史跡として指定された。現在は公園で,桜の名所ともなっている。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

ごりょう‐かく〔‐クワク〕【五稜郭】
北海道函館市にある城跡。最初の西洋式城郭で、江戸幕府の箱館奉行所として安政4年(1857)から元治元年(1864)にかけて築造。その外形が星のような五稜形をしているところからの名。明治2年(1869)戊辰(ぼしん)戦争の際、旧幕臣榎本武揚(えのもとたけあき)らがたてこもって官軍と戦った。→箱館戦争

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世界大百科事典 第2版

ごりょうかく【五稜郭】
北海道函館市にある城址。江戸幕府蝦夷地(えぞち)支配と北辺防備のために,箱館奉行所として計画した日本最初の洋式城郭。伊予大洲藩出身の蘭学者,諸術調所教授武田斐三郎(あやさぶろう)がフランス築城書のオランダ語訳本を参考にフランス軍人の指導のもとで設計,1857年(安政4)着工,64年(元治1)に竣工した。その築城法は,大砲の発達に伴って16世紀以降フランスを中心にヨーロッパで流行したもので,平地に星形に濠を掘り,その土で土塁を築き,五つの突角部(稜堡)に砲座を置く。

出典:株式会社平凡社
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日本の城がわかる事典

ごりょうかく【五稜郭】
江戸時代末期の1857年(安政4)、幕府により箱館の防衛のため、北海道函館市に建設された洋式城郭。国の特別史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。北海道遺産(五稜郭と箱館戦争の遺構)にも選定されている。城郭は5つの稜堡を持つ星形をしており、その外周は約1.8km。25万m2の広さを持つ。蘭学者の武田斐三郎(あやさぶろう)が設計し、8年の歳月をかけて建設された。当時、城内には箱館奉行所や砲台が置かれていた。1868年(明治1)、新政府への帰順を拒否した榎本武揚(えのもとたけあき)は、旧幕府軍を率いて蝦夷地に渡り、10月26日に五稜郭を無血占領。ここを拠点として新政府軍と戦ったが(箱館戦争)、翌年5月に新政府軍に降伏した。この戦争で城内の施設・建物は大きな損傷を受け、その後撤去された。現在は公園として整備され、桜の名所になっている。函館市電の五稜郭公園前駅で下車後、徒歩約15分。◇正式名称は「亀田役所土塁」で、一般に広く流布している「五稜郭」は通称である。柳野城ともいう。

出典:講談社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

五稜郭
ごりょうかく

函館(はこだて)市五稜郭町に現存するわが国最大・最初の西洋式稜堡(りょうほ)式城跡。正式名は亀田(かめだ)役所土塁というが、V字形の堡頭(ほとう)をもった五稜星形築城なので五稜郭と通称されている。幕府は神奈川条約による箱館(はこだて)開港と、ロシアの南下政策などに対応するため、1854年(安政1)6月、箱館奉行(ぶぎょう)を配置、奉行所として亀田役所土塁、弁天岬台場などの築造を計画した。五稜郭は1857年(安政4)に着工、64年(元治1)に竣工(しゅんこう)した。設計と監督は伊予(いよ)大洲(おおず)藩(愛媛県大洲市)出身の武田斐三郎成章(あやさぶろうなるあき)で、西洋の築城書をもとに築城したといわれる。星形の稜堡式築城は、郭内からの射撃に死角がないことが特長で、同じく幕末に築造された長野県南佐久郡の竜岡(たつおか)城も同型のものである。五稜郭は郭内約25万1400平方メートル、郭高約5メートル、南西の追手門(おうてもん)外に馬出(うまだし)として三角土塁があり、郭には濠(ほり)が巡らされ、濠外の東西南三方には、さらに土塁が設けられている。郭内には木造瓦葺(かわらぶ)き望楼付き900坪の本庁舎など、30余棟の建物が並んでいた。

 1868年(慶応4)4月、新政府は箱館裁判所を設置し、総督に清水谷公考(しみずだにきんなる)を任命した。その後、箱館戦争終了の69年(明治2)5月まで、五稜郭は榎本武揚(えのもとたけあき)の率いる旧幕府軍に占拠され、その本拠となった。戦争の結果、本庁舎に付属する望楼が一部破壊された。本庁舎は戦争後の71年に解体された。73年、五稜郭は陸軍省に移管されたが、1914年(大正3)公園として開放、サクラの名所となった。22年国の史跡、52年(昭和27)特別史跡に指定された。現在、市立博物館分館があり、復原された兵糧庫が一般公開されている。

[船津 功]

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事典・日本の観光資源

五稜郭
(北海道函館市)
日本100名城」指定の観光名所。

出典:日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」
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精選版 日本国語大辞典

ごりょう‐かく ‥クヮク【五稜郭】
(塁形が星のような五稜形をなしているところから) 北海道函館市にあった平城。正式名は亀田役所土塁。江戸幕府が北方警備のため箱館奉行所として元治元年(一八六四)完成。フランスの築城法を参考にした日本最初の西洋式城郭。明治維新のとき幕臣榎本武揚(えのもとたけあき)らがこもり官軍と戦った。石垣・濠は原形をとどめ、現在は公園となっている。国特別史跡。

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旺文社日本史事典 三訂版

五稜郭
ごりょうかく
江戸末期,北海道函館市五稜郭町に築いた城郭
江戸時代最後の築城で,箱館奉行が企画し,蘭学者武田斐三郎 (あやさぶろう) が設計したオランダ式の平城。土塁は花菱形で,濠をめぐらした。1864年完成。'69年榎本武揚 (たけあき) らがこの城に拠り,新政府軍に最後の抵抗を試みたが降伏(五稜郭の戦い)。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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