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井上円了【いのうえ】

美術人名辞典

井上円了
仏教哲学者新潟県生。号は甫水、名は襲。東大卒。雑誌「東洋哲学」を創刊、「破唯物論」を刊行するなど仏教と東洋哲学の啓蒙に努める。哲学館創設し、のちの東洋大学となる。大正8年(1919)歿、61才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

いのうえ‐えんりょう〔ゐのうへヱンレウ〕【井上円了】
[1858~1919]哲学者・教育者。新潟の生まれ。欧化思潮に対して東洋思想を強調し、仏教哲理を説いた。妖怪学。哲学館(のちの東洋大学)を設立「仏教活論」など。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

井上円了 いのうえ-えんりょう
1858-1919 明治-大正時代の仏教哲学者。
安政5年2月4日生まれ。東京大学在学中の明治17年哲学会を組織し,仏教の復権をめざす。20年東京湯島に哲学館(現東洋大)を創立国粋主義に共鳴し,翌年政教社の創立にくわわる。迷信打破のため「妖怪学講義」をあらわし,妖怪博士といわれた。中国視察中の大正8年6月6日大連で死去。62歳。越後(えちご)(新潟県)出身。名は襲常。著作に「真理金針」「仏教活論」など。

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

いのうええんりょう【井上円了】
1858‐1919(安政5‐大正8)
近代の仏教哲学者。新潟県の真宗大谷派慈光寺の人。1885年東京大学哲学科卒業。生涯,仏教の哲学的形成や仏教革新運動,その国粋論的顕揚などに努めた。87年東京湯島に哲学館(東洋大学の前身)を創設,翌年本郷に哲学書院を設けて哲学書を出版し,また雑誌《哲学会雑誌》《東洋哲学》などを刊行し,明治期の国粋主義に共鳴して政教社の創立や雑誌《日本人発刊などに関与した。主著《真理金針》3巻,《仏教活論》3巻(序論・破邪活論・顕正活論)でキリスト教を批判して仏教を顕彰し,《妖怪学講義》8巻で迷信打破に努めた。

出典:株式会社平凡社
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

井上円了
いのうええんりょう
[生]安政5(1858).2.4. 越後
[没]1919.6.6. 大連
仏教哲学者。 1887年に『仏教活論』を著わし,仏教哲学に西洋哲学を結びつけて説いた。また同年に哲学館 (東洋大学の前身) を創設し,1903年には東京中野に哲学堂を建設した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

井上円了
いのうええんりょう
(1858―1919)

明治・大正時代の仏教哲学者、教育家。安政(あんせい)5年2月4日、越後(えちご)国(新潟県)三島(さんとう)郡浦村(現、長岡市)の浄土真宗大谷派慈光寺に生まれる。幼名は岸丸、のちに襲常(しゅうじょう)、得度して円了と改名した。号は甫水(ほすい)。石黒忠悳(いしぐろただのり)より漢籍を学び、長岡洋学校、東本願寺教師学校、東京大学哲学科を卒業後、キリスト教や欧化的風潮、仏教僧侶(そうりょ)の腐敗に対して、『真理金針(しんりこんしん)』(1886)、『仏教活論(序論)』(1887)を著して警醒(けいせい)に努めた。また哲学会、国家学会を組織、1887年(明治20)には哲学館(後の東洋大学)を創立した。また東京・中野に哲学堂を建て、釈迦(しゃか)、孔子、ソクラテス、カントの四聖を祀(まつ)った。晩年は迷信否定のため『妖怪学講義録(ようかいがくこうぎろく)』を著し、世に妖怪博士と称された。『仏教活論』の主張は、倶舎(くしゃ)の哲学は唯物論に、法相(ほっそう)の阿頼耶識(あらやしき)はカントやフィヒテの絶対主観に合致し、これらを統一したものが天台の中道(ちゅうどう)思想であること、大乗思想は西洋の最大幸福説と同一に帰するとすることなどで、キリスト教に対して仏教の優位を説き、明治仏教界に多大の影響を与え、仏教復興の端緒となった。大正8年6月5日、中国旅行中、遼寧(りょうねい)省大連(だいれん)で客死した。

[金田諦応 2017年5月19日]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

いのうえ‐えんりょう【井上円了】
哲学者、教育家。号甫水。別号非僧非俗道人・不知歌斎・無芸拙筆居士。また四聖堂、不思議庵、妖怪窟の異号がある。「護国愛理」「王法為本」を説いた。哲学館(のちの東洋大学)を設立、のち東京、和田山(現在の中野区松が丘)に哲学堂を建て退隠。著「仏教活論」「妖怪学講義」など。安政五~大正八年(一八五八‐一九一九

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

井上円了
いのうええんりょう
1858〜1919
明治・大正時代の仏教哲学者
越後(新潟県)の生まれ。1887年哲学館(現 東洋大学)を創設。翌年三宅雪嶺らと政教社を設立,仏教的立場から国粋主義を唱えキリスト教を排撃した。終生民間学者として活動し,釈迦孔子ソクラテスカントを四聖として哲学堂(東京都中野区)に祭ったことも著名。主著に『真理金針』『仏教活論』など。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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