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井上哲次郎【いのうえてつじろう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

井上哲次郎
いのうえてつじろう
[生]安政2(1855).12.25. 筑前太宰府
[没]1944.12.7.
哲学者。号は巽軒。東京大学教授。ドイツ観念論の移入に努めるとともに,現象即実在論を説き,東西思想を包括する体系樹立に努力。『勅語衍義』『教育と宗教衝突』を発表,国民道徳を唱道し,キリスト教国体に反するものとして攻撃するなど,国家主義吹した。多年哲学界の大御所として君臨した。著書『日本陽明学派之哲学』 (1900) ,『日本古学派之哲学』 (02) ,『日本朱子学派之哲学』 (06) ,『国民道徳概論』など。

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デジタル大辞泉

いのうえ‐てつじろう〔ゐのうへテツジラウ〕【井上哲次郎】
[1856~1944]哲学者。福岡の生まれ。東大教授。ドイツ観念論哲学を紹介し、日本の観念論哲学を確立。また、外山正一(とやままさかず)矢田部良吉と「新体詩抄」を刊行し、新体詩運動を興した。著「日本陽明学派之哲学」「日本古学派之哲学」など。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

井上哲次郎 いのうえ-てつじろう
1856*-1944 明治-昭和時代前期の哲学者。
安政2年12月25日生まれ。明治15年母校東京大学の助教授。同年外山正一(とやま-まさかず)らと「新体詩抄」を刊行。17年ドイツに留学。23年帰国し,日本人最初の哲学科教授となる。東西の思想の融合統一をめざすとともに,日本主義をとなえ,キリスト教を排斥した。30年東京帝大文科大学学長。昭和19年12月7日死去。90歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身。旧姓は船越。号は巽軒(そんけん)。著作に「勅語衍義(えんぎ)」「教育ト宗教ノ衝突」「日本古学派之哲学」など。
格言など】個人的の我は迷いで世界的の我は悟りである

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

いのうえてつじろう【井上哲次郎】
1855‐1944(安政2‐昭和19)
明治期の代表的な哲学者。号は巽軒(そんけん)。筑前国(福岡県)太宰府出身。1880年東京大学文学部哲学科卒業後,杉浦重剛らと《東洋学芸雑誌》を発行,また哲学辞典の先駆をなす《哲学字彙》(1881)を著し,外山正一らと《新体詩抄》を刊行。ドイツに6年間留学後,90年帝国大学教授となり,以後日本哲学界の指導者として君臨し,1923年退官とともに東京帝大名誉教授,25年大東文化学院総長,哲学会会長,貴族院議員に選任された。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

いのうえてつじろう【井上哲次郎】
1855~1944 哲学者。福岡県生まれ。東大教授。東洋哲学の考究、ドイツ観念論哲学の移植に努めるとともに、国粋主義的立場からキリスト教を排撃。「新体詩抄」の編著者の一人。主著「日本朱子学派之哲学」「日本陽明学派之哲学」「哲学字彙」

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日本大百科全書(ニッポニカ)

井上哲次郎
いのうえてつじろう
(1855―1944)
明治・大正期の哲学者。安政(あんせい)2年12月25日、筑前国(ちくぜんのくに)(福岡県)太宰府(だざいふ)に、医師船越俊達(ふなこししゅんたつ)の三男として生まれる。初め中村徳山(なかむらとくざん)に就いて儒教を学んだが、1868年(明治1)博多(はかた)に出て英語を学び、さらに1871年長崎の広運館に入り西洋学を修めた。1875年とくに選抜されて東京の開成学校に入学、1877年東京大学の1期生として哲学を専攻した。1878年井上鉄英(てつえい)(1826―1906)の養子となった。
 1880年東京大学を卒業。以後、『東洋学芸雑誌』(1881)を杉浦重剛(すぎうらしげたけ)らと発刊し、日本最初の哲学辞典『哲学字彙(じい)』(1881)の編纂(へんさん)、ベインAlexander Bain(1818―1903)の『心理新説』(1882)の翻訳、『倫理新説』『西洋哲学講義』(ともに1883)の刊行など目覚ましく活動した。とりわけ『倫理新説』は、井上が自らの哲学体系を展開したもので、「余ガ如(ごと)キハ、既(すで)ニ哲学士タラント欲スル者ナレバ、必ズヤ倫理ノ大本ヲ講究セザルベカラズ」と述べて哲学体系への強烈な志向を示している。その間、東京大学助教授として東洋哲学史の編纂に従事した。また一方では、外山正一(とやままさかず)、矢田部良吉(やたべりょうきち)らと『新体詩抄』を出版し、新体詩運動の先駆として、ポエトリpoetryの移入紹介に努めた。
 1884年哲学修業のためドイツに留学、クーノー・フィッシャー、W・ブントなどに就学、ドイツ観念論哲学を本格的に研究した。1890年帰朝、日本人として最初の哲学教授に任ぜられた。この年「教育勅語」が渙発(かんぱつ)され、翌1891年井上は政府の意を受けてその解説書『勅語衍義(えんぎ)』を出版した。さらに1893年『教育と宗教の衝突』を刊行し、内村鑑三(うちむらかんぞう)不敬事件などを取り上げ、「要するに、耶蘇(ヤソ)教は元(も)と我邦(わがくに)に適合せざるの教なり」とキリスト教を反国体的宗教として激しく批判した。
 井上の哲学体系は「現象即実在論」とよばれ、そのもっとも完成した叙述は「認識と実在との関係」(1900)に示されている。それは、「主観」と「客観」は「実在」の両側面であるとする折衷主義にとどまっている。結局、井上の本領は、『日本陽明学派之哲学』(1900)などの近世儒教研究と、『国民道徳概論』(1912)などの天皇制国家における国民道徳の基礎づけに求められよう。東京都立中央図書館に「井上文庫」として蔵書が収められている。[渡辺和靖]
『船山信一著『増補明治哲学史研究』(1959・ミネルヴァ書房) ▽渡辺和靖著『明治思想史』(1978・ぺりかん社)』

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精選版 日本国語大辞典

いのうえ‐てつじろう【井上哲次郎】
哲学者。文学博士。号は巽軒(そんけん)。福岡県に生まれる。東京帝国大学教授。東洋哲学、西洋哲学を紹介。日本主義を提唱。また矢田部良吉らと「新体詩抄」を刊行。著「哲学字彙」「日本陽明学派之哲学」「日本朱子学派之哲学」「日本古学派之哲学」など。安政二~昭和一九年(一八五五‐一九四四

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

井上哲次郎
いのうえてつじろう
1855〜1944
明治〜昭和期の哲学者
筑前(福岡県)の生まれ。ドイツ留学後,東大で哲学史を講じ,哲学界に重きをなす。内村鑑三不敬事件に際して,「教育と宗教の衝突」で国家主義の立場からキリスト教を排撃。新体詩運動にも寄与した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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