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京都御所【きょうとごしょ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

京都御所
きょうとごしょ
京都市上京区にある旧皇居。現在地は平安時代の内裏に対し約 2km東になる。もと里内裏として用いられていたが,南北朝時代以後正式の御所となった。たびたび火災にあい現在の建物は安政2 (1855) 年の造営であるが,規模,形式は寛政2 (1790) 年造営のものをそのまま復元。寛政年間造営の皇居は老中松平定信が総裁し,当時有職に詳しかった裏松固禅の研究の成果を基にして復古的に建設された。したがって現在の御所は細部様式は江戸様式だが,建築物の配置その他の態様は平安時代の古制をとどめている。御所の構成は東西約 600m,南北約 1100mの敷地の中に正殿である紫宸殿を中心とし,清涼殿宜陽殿,承明門,日華門,月華門,飛香舎 (ひぎょうしゃ) ,玄輝門,小御所などから成り,ことに紫宸殿は平安時代の寝殿造の様式を伝える。小御所は寝殿造と書院造の中間様式で,中世以来諸儀式はここで行われている。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

きょうと‐ごしょ〔キヤウト‐〕【京都御所】
京都市上京区にある旧皇居。元弘元年(1331)から、明治2年(1869)の東京遷都までの皇居。数度の修理・改築・火災を経て、安政2年(1855)に現在の建物が再建された。

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世界大百科事典 第2版

きょうとごしょ【京都御所】
京都市上京区京都御苑内にある旧皇居。1337年(延元2∥建武4),北朝の光明天皇のとき里内裏土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)を皇居と定めたことに始まる。1869年(明治2)東京奠都(てんと)まで歴代天皇の内裏として同じ位置にあったが,御所敷地の規模は後世の再建・造替のたびに拡張された。室町時代には1401年(応永8)と43年(嘉吉2)に焼失し再建されており,1569年(永禄12)より織田信長が大修理を実施し,91年(天正19)に豊臣秀吉が新殿に造替した。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

きょうとごしょ【京都御所】
東京遷都までの旧皇居。京都市上京区にある。もと里内裏の一つであったが、南北朝時代、北朝が皇居とした。戦乱などでしばしば炎上し、現存のものは1855年の再建。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

京都御所
きょうとごしょ
明治の東京遷都以前の旧皇居で、京都市上京(かみぎょう)区にある。794年(延暦13)平安京が造営されて、皇居は京の中央北部の平安宮内の内裏(だいり)に設けられた。平安時代以来、内裏の罹災(りさい)の場合は臣下の邸宅を一時仮内裏として利用するのが常であって、これを里内裏(さとだいり)とよんでいる。現在の京都御所は、かつての里内裏の一つであった土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)の場所にあたる。1331年(元弘1)皇統が南北朝に分かれてから、土御門のこの場所は北朝歴代の皇居として利用されたため、南北朝合体以降はここが内裏として定着した。この土御門内裏も1401年(応永8)、1443年(嘉吉3)と焼亡、当時室町幕府の財政事情の悪化によって再建に手間どり、やがて応仁(おうにん)の乱を迎えて内裏を留守にしたため、その荒廃は著しかった。1569年(永禄12)織田信長が内裏復興に着手するが、まだ内裏は室町時代以来のものを踏襲しただけで、規模も1町四方ほどの狭いものであったらしい。その後豊臣(とよとみ)秀吉による天正(てんしょう)内裏、徳川幕府造営の慶長(けいちょう)内裏、寛永(かんえい)内裏と発展するが、1653年(承応2)、1661年(寛文1)、1673年(延宝1)、1708年(宝永5)、1788年(天明8)と、数度罹災を繰り返している。1789年(寛政1)、内裏の復興にあたった老中松平定信(さだのぶ)は、裏松光世(みつよ)(固禅)が著した『大内裏図考証』に基づいて、内裏を平安時代の旧規に部分的にも復古している。しかし、この内裏も1854年(安政1)に焼失、翌1855年に寛政(かんせい)造営のものをそのままに再建された安政(あんせい)内裏がいまの京都御所である。
 京都御所は南北約450メートル、東西約250メートルの面積を占め、周囲は白い築地(ついじ)塀で囲まれる。南には建礼門(けんれいもん)が開かれ、門内正面には南庭(なんてい)を囲んで三方に承明門(しょうめいもん)、日華門(にっかもん)、月華門(げっかもん)の開かれる回廊があり、その中に紫宸殿(ししんでん)、北西に清涼殿(せいりょうでん)が建つ。紫宸殿の北東からは奥に小御所(こごしょ)、御学問所、常御殿(つねのごてん)が接続し、その東には池庭が設けられる。北方の独立した一画には、また皇后、若宮、姫宮の各御殿が建つ。京都御所の南東には大宮(おおみや)御所(1867創建)や仙洞(せんとう)御所(1852創建)があり、京都御所と一括して京都御苑(ぎょえん)とよばれる。御苑は環境省の管理下にあり、面積は約90万平方メートルに及ぶ。京都御所の周縁には、かつて有栖川宮(ありすがわのみや)、桂宮(かつらのみや)の宮家、近衛(このえ)、鷹司(たかつかさ)などの五摂家をはじめとする公家(くげ)の住宅が建ち並んでいたが、いまは一面の苑地に変わって昔のおもかげがない。ただ、今出川通の北側に冷泉家(れいぜいけ)住宅(国重要文化財)が残されていて、わずかにかつてのたたずまいを伝えるだけである。
 なお、現在は宮内庁京都事務所の管理下にあり、事前申込み不要の通年公開となっている(休止日はあり)。[工藤圭章]
『藤岡通夫著『美術文化シリーズ 138 京都御所』(1967・中央公論美術出版)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

きょうと‐ごしょ キャウト‥【京都御所】
京都市上京区、京都御苑にある旧皇居。治承四年(一一八〇)里内裏となり、元弘元年(一三三一)以来、東京遷都に至るまで皇居となった。京都皇宮。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

京都御所
きょうとごしょ
京都市上京区の御苑内にある旧皇居
もと里内裏 (さとだいり) として用いられた土御門 (つちみかど) 東洞院殿の位置で,15世紀後小松天皇以来,正式の皇居となった。室町時代,土地・建物ともにわずかであったが,織田信長の修理,豊臣秀吉と徳川家康の造営を経て整備された。現存する建物は安政年間(1854〜60)の造営。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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