●京都御所【きょうとごしょ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
京都御所
きょうとごしょ
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デジタル大辞泉
きょうと‐ごしょ〔キヤウト‐〕【京都御所】
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世界大百科事典 第2版
きょうとごしょ【京都御所】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
京都御所
きょうとごしょ
明治の東京遷都以前の旧皇居で、京都市上京(かみぎょう)区にある。794年(延暦13)平安京が造営されて、皇居は京の中央北部の平安宮内の内裏(だいり)に設けられた。平安時代以来、内裏の罹災(りさい)の場合は臣下の邸宅を一時仮内裏として利用するのが常であって、これを里内裏(さとだいり)とよんでいる。現在の京都御所は、かつての里内裏の一つであった土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)の場所にあたる。1331年(元弘1)皇統が南北朝に分かれてから、土御門のこの場所は北朝歴代の皇居として利用されたため、南北朝合体以降はここが内裏として定着した。この土御門内裏も1401年(応永8)、1443年(嘉吉3)と焼亡、当時室町幕府の財政事情の悪化によって再建に手間どり、やがて応仁(おうにん)の乱を迎えて内裏を留守にしたため、その荒廃は著しかった。1569年(永禄12)織田信長が内裏復興に着手するが、まだ内裏は室町時代以来のものを踏襲しただけで、規模も1町四方ほどの狭いものであったらしい。その後豊臣(とよとみ)秀吉による天正(てんしょう)内裏、徳川幕府造営の慶長(けいちょう)内裏、寛永(かんえい)内裏と発展するが、1653年(承応2)、1661年(寛文1)、1673年(延宝1)、1708年(宝永5)、1788年(天明8)と、数度罹災を繰り返している。1789年(寛政1)、内裏の復興にあたった老中松平定信(さだのぶ)は、裏松光世(みつよ)(固禅)が著した『大内裏図考証』に基づいて、内裏を平安時代の旧規に部分的にも復古している。しかし、この内裏も1854年(安政1)に焼失、翌1855年に寛政(かんせい)造営のものをそのままに再建された安政(あんせい)内裏がいまの京都御所である。
京都御所は南北約450メートル、東西約250メートルの面積を占め、周囲は白い築地(ついじ)塀で囲まれる。南には建礼門(けんれいもん)が開かれ、門内正面には南庭(なんてい)を囲んで三方に承明門(しょうめいもん)、日華門(にっかもん)、月華門(げっかもん)の開かれる回廊があり、その中に紫宸殿(ししんでん)、北西に清涼殿(せいりょうでん)が建つ。紫宸殿の北東からは奥に小御所(こごしょ)、御学問所、常御殿(つねのごてん)が接続し、その東には池庭が設けられる。北方の独立した一画には、また皇后、若宮、姫宮の各御殿が建つ。京都御所の南東には大宮(おおみや)御所(1867創建)や仙洞(せんとう)御所(1852創建)があり、京都御所と一括して京都御苑(ぎょえん)とよばれる。御苑は環境省の管理下にあり、面積は約90万平方メートルに及ぶ。京都御所の周縁には、かつて有栖川宮(ありすがわのみや)、桂宮(かつらのみや)の宮家、近衛(このえ)、鷹司(たかつかさ)などの五摂家をはじめとする公家(くげ)の住宅が建ち並んでいたが、いまは一面の苑地に変わって昔のおもかげがない。ただ、今出川通の北側に冷泉家(れいぜいけ)住宅(国重要文化財)が残されていて、わずかにかつてのたたずまいを伝えるだけである。
なお、現在は宮内庁京都事務所の管理下にあり、事前申込み不要の通年公開となっている(休止日はあり)。
[工藤圭章]
『藤岡通夫著『美術文化シリーズ 138 京都御所』(1967・中央公論美術出版)』
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精選版 日本国語大辞典
きょうと‐ごしょ キャウト‥【京都御所】
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旺文社日本史事典 三訂版
京都御所
きょうとごしょ
もと里内裏 (さとだいり) として用いられた土御門 (つちみかど) 東洞院殿の位置で,15世紀後小松天皇以来,正式の皇居となった。室町時代,土地・建物ともにわずかであったが,織田信長の修理,豊臣秀吉と徳川家康の造営を経て整備された。現存する建物は安政年間(1854〜60)の造営。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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