●京都所司代【きょうとしょしだい】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
京都所司代
きょうとしょしだい
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デジタル大辞泉
きょうと‐しょしだい〔キヤウト‐〕【京都所司代】
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世界大百科事典 第2版
きょうとしょしだい【京都所司代】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
京都所司代
きょうとしょしだい
江戸幕府の職名。1603年(慶長8)江戸に幕府が開かれたことにより、西日本支配のための権能を与えられて成立した。定員1名。3万石以上の譜代(ふだい)大名から任命、役料1万石が給され、与力30騎(のち50騎)、同心100人が付属した。京都の制圧、朝廷や公家(くげ)の監察、西日本諸大名の監視のほか、五畿内(きない)および近江(おうみ)、丹波(たんば)、播磨(はりま)の8か国の民政を総括した。板倉勝重(かつしげ)、その子重宗(しげむね)、牧野親成(ちかしげ)の3代の在職は65年にも及び、京都市中はもとより畿内近国における幕政の定着を大きく前進させた。とくに初期には、徳川家康、秀忠(ひでただ)、家光(いえみつ)の歴代将軍がたびたび上洛(じょうらく)し、所司代体制と将軍上洛の不可分の関係がみられた。幕府支配一元化の方向がみえた1668年(寛文8)、京都支配など民政上の権限を京都町奉行(ぶぎょう)に譲った。以後は老中への出世コース的な役職となり、地位のみ高く幕政上の政治力は急激に低下した。このため、幕末には所司代の無力さが指摘され、京都守護職がその上位機関として設置された。
[鎌田道隆]
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精選版 日本国語大辞典
きょうと‐しょしだい キャウト‥【京都所司代】
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旺文社日本史事典 三訂版
京都所司代
きょうとしょしだい
京都の治安維持,朝廷の監察や連絡,京都町奉行らの統率,京都周辺8カ国の天領における訴訟の処理,西国諸大名の監督などにあたった。室町幕府の侍所所司代に由来し,1600年奥平信昌 (のぶまさ) が初任。ついで板倉勝重・重宗父子が任ぜられて以来,譜代から選任され,老中につぐ要職であった。1867年廃止。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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