●人民公社【じんみんこうしゃ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
人民公社
じんみんこうしゃ
Ren-min gong-she
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デジタル大辞泉
じんみん‐こうしゃ【人民公社】
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世界大百科事典 第2版
じんみんこうしゃ【人民公社 Rén mín gōng shè】
[成立と変遷]
中国の農村では,1949年の解放後,土地改革,互助組,初級合作社,高級合作社(〈合作社〉の項参照)を経て58年に人民公社が誕生した。これは,1957年秋から58年春にかけて農村での大規模な水利建設,土壌改良などの農地基本建設が実施されたが,その際,従来の高級合作社の範囲では労働力,資材等を調達できないために誕生したものである。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
人民公社
じんみんこうしゃ
people's commune
1958年に創設された中国農村の行政・経済機構。農業集団化に成功した中国は、1958年なかばごろから従来の農業生産協同組合を合併させ、工業、農業、商業、学校、民兵の各組織を含み、またいままでの郷(ごう)政府のもっていた行政機能をもあわせもつ人口数万にも達する一大コミューンをつくり始めた。毛沢東(もうたくとう/マオツォートン)の「人民公社はすばらしい」ということばにも励まされ、わずか1、2か月のうちに全国99%の農家が参加する人民公社化運動が展開された。「一大二公」(規模が大きくて公共的)が理想とされ、食事の無料供給を行う「公共食堂」が設けられたり、さらに一部の地域では公社規模での所有、管理、分配が行われた。
しかし1959~1961年の自然災害(それには公社化が引き起こした人災という面もあった)と、それによる農業、農民の疲弊の結果、人民公社制度は再編を余儀なくされた。1961年以降、最末端単位である20~30戸からなる生産隊を基本単位とし、そこが土地を集団所有するとともに、生産・分配の意思決定権をもち、その上の生産大隊が比較的大型の資本を有し、さらに公社が灌漑(かんがい)設備や大型トラクターといった大規模な資本を所有・管理するといった「三級所有制」ができあがった。また、この人民公社体制のもとで、農民は基本的医療、教育、あるいは生活を保障される体制にはなってきた。
農民は生産隊の集団耕作に参加し、各自労働力の質と作業種ごとに決められた労働点数を記録し、その年の収益を各人の労働日(1労働日は通常10点)に応じて分配する。ただし、収穫の変動が激しく、しかも政府により農産物価格や原材料価格を決められているために、1労働日当りの単価は低く、しかも変動が大きい。それを補うのが、耕地の5%を限度として各農家に経営と生産物の処分がゆだねられた自留地による所得であった。
機構としての公社制度をみると、公社の幹部は上級の行政単位である県から任命され、また中国の他の機構と同様に、公社の運営は実質上公社の党委員会が実権を握っていた。しかし末端の生産隊や生産大隊の幹部は、比較的民主的に成員が選出していた。
1976年の「四人組」失脚以後、それまでの人民公社制度の非効率性や国家による干渉が批判され、個々の農家の生産意欲を刺激するために、自留地の拡大とともにさまざまな請負耕作制、とりわけ農家ごとの請負制の普及が図られ、農業の脱集団化が進められた。さらに1982年の憲法において、1958年以前の郷政府制が復活して、公社から行政機能がなくなり、それとともに人民公社の看板が下ろされ、名実ともに人民公社は解体したといえる。全国に5万6000あった人民公社は、末端の行政組織である、郷政府(3万4100)、鎮(ちん)政府(1万4100)に変身した。これら行政政府や農民が所有、経営する企業(郷鎮企業)は、1970年代末からの改革・開放後、中国の市場経済化の推進役となっている。企業数は2000万社を超え、2007年末の従業員数は1億5090万人である。
[中兼和津次]
『福島正夫著『人民公社の研究』(1960・御茶の水書房)』▽『嶋倉民生・中兼和津次編『人民公社制度の研究』(1980・アジア経済研究所)』▽『近藤康男・阪本楠彦編『社会主義下甦る家族経営』(1983・農山漁村文化協会)』▽『日中経済協会編・刊『人民公社解体下の中国農業と農業協力』(1984)』▽『楊勲・劉家瑞著、杉野明夫監訳『中国農村改革の道――人民公社解体と請負制』(1989・大阪経済法科大学出版部)』▽『丁抒著、森幹夫訳『人禍 1958~1962――餓死者2000万人の狂気』(1991・学陽書房)』▽『渡辺利夫編『中国の経済改革と新発展メカニズム』(1991・東洋経済新報社)』▽『上野和彦編著『現代中国の郷鎮企業』(1993・大明堂)』▽『中村則弘著『中国社会主義解体の人間的基礎――人民公社の崩壊と営利階級の形成』(1994・国際書院)』▽『杉野明夫著『中国社会主義の再生』(1995・大阪経済法科大学出版部)』▽『小林弘二著『20世紀の農民革命と共産主義――中国における農業集団化政策の生成と瓦解』(1997・勁草書房)』
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精選版 日本国語大辞典
じんみん‐こうしゃ【人民公社】
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旺文社世界史事典 三訂版
人民公社
じんみんこうしゃ
従来の小規模で経営種目の単純な合作社を合併して,農林・牧畜・漁業の大規模化による発展と農村内の商工業の育成をはかった。さらに軍隊(民兵組織)・学校をあわせ,生産組織と行政組織の合体(政社合一)を目的とした。1958年末にはほとんど全国の農村が公社化され,60年には都市の人民公社も発展,毛沢東時代の社会主義戦略の典型とされた。しかし毛沢東の死後,政社の分離,農家ごとの生産請け負いがすすみ,1980年代には解体した。
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