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伊勢信仰【いせしんこう】

世界大百科事典 第2版

いせしんこう【伊勢信仰】
伊勢神宮を中心とする信仰伊勢神宮元来〈国家至貴の神〉として皇室以外の奉幣を禁ずるなど,制度上重い地位にあったが,平安末期には王朝財政の衰えとともに支持が薄くなったため,神職団の一部はいわゆる御師(おし)としての活動を開始して,全国的に信徒(檀那)網を広げることに努めた。ことに東海・関東の地方には御師の勧誘により神領としての御厨(みくりや)・御薗(園)(みその)を寄進する豪族武将が多かったが,なかで相馬御厨を寄進した源義宗の,〈これ大日本国は惣じて皇太神宮・豊受宮の御領たるのなり〉という言葉は,よく信仰内容を物語っている。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

伊勢信仰
いせしんこう

伊勢の神宮に対する、主として庶民の信仰をいう。『太神宮諸雑事記(だいじんぐうしょぞうじき)』に、934年(承平4)神嘗祭(かんなめさい)の日に「参宮人千万貴賤(きせん)を論ぜず」と記され、また1031年(長元4)6月の月次(つきなみ)祭にも多くの参宮人のあったことが記されるが、当時はまだ私幣禁断(しへいきんだん)、すなわち天皇のほかは私的な幣帛(へいはく)を捧(ささ)げ祈祷(きとう)することが禁じられており、本格的な庶民の参宮といえない。庶民一般が親しんで信仰し参宮したのは、中世に入ってからといえよう。古代末、院政時代に熊野(くまの)三山に対する朝野の厚い信仰が出たあとを受けて、中世初頭、源頼朝(よりとも)が神宮に神馬(しんめ)、幣帛を奉り、御厨(みくりや)・御園(みその)を寄進して以後、東国のみならず諸国の武士がこれに倣った。また僧侶(そうりょ)の参宮も増加するとともに、伊勢の神宮における権禰宜(ごんねぎ)層が御師(おし)として各地を回るようになって、熊野信仰に増して伊勢信仰が発達、私祈祷をするようになった。室町時代に入り、足利(あしかが)将軍が次々と幣帛を奉って参宮したこともあり、庶民は各村々で、伊勢講(こう)、伊勢太々(だいだい)講、参宮講などの名のもとに講金を積み、代参を出す参宮組織をつくった。近世に入ってからは、世が泰平になるとともに、参宮の風習は盛大となり、一方、伊勢でも御師が発達、全国の隅々に至るまでに師檀(しだん)関係を結んで、その参宮を助けた。ことに近世には、1650年(慶安3)以来幕末まで、およそ50~60年ごとに爆発的に「お陰参り」「抜け参り」と称する多数の参宮者が出ることがあった。これは、伊勢の御札(おふだ)が天から降ったというような噂(うわさ)を機として、ほとんど無銭で参宮に出かけるもので、その群集はわずかの間に数十万に増えるが、路次(ろし)の家でそれに食事を与え助けた。このような参宮は1867年(慶応3)で絶えたが、それ以後も伊勢信仰は庶民の間に強く根づいているものとみられる。

[鎌田純一]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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