●伊治城【いじじょう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
伊治城
いじじょう
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世界大百科事典 第2版
いじじょう【伊治城】
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日本の城がわかる事典
いじじょう【伊治城】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
伊治城
いじじょう
宮城県栗原(くりはら)市築館城生野(つきだてじょうの)に想定されている古代東北地方の城柵(じょうさく)。767年(神護景雲1)東北経営の最北の拠点として鎮守将軍田中朝臣多太麻呂(あそんただまろ)・道島宿禰三山(みちしまのすくねみやま)らにより造営され、翌年、翌々年にかけて柵戸の充実を図るべく百姓の強制移住が行われた。780年(宝亀11)当城において按察使(あぜち)紀朝臣広純(きのあそんひろずみ)らが上治郡大領伊治公呰麻呂(いじのきみあざまろ)らに殺害された、いわゆる伊治呰麻呂の乱が起こっている。796年(延暦15)には坂東(ばんどう)諸国の民衆9000人を遷置し、呰麻呂の反乱以来の荒廃の立て直しを図った。1976年(昭和51)より発掘調査が行われ「城厨」などと書かれた墨書土器が発見されている。
[酒寄雅志]
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精選版 日本国語大辞典
いじ‐じょう いぢジャウ【伊治城】
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旺文社日本史事典 三訂版
伊治城
いじじょう
造営の翌年と翌々年に移住者を諸国から募って2500余人を移し,8世紀末には9000人を移して強化された。廃城の時期は不明。現在の宮城県栗原郡にある。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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