●伊藤蘭嵎【いとう らんぐう】
美術人名辞典
デジタル大辞泉
いとう‐らんぐう【伊藤蘭嵎】
出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
伊藤蘭嵎 いとう-らんぐう
元禄(げんろく)7年5月1日生まれ。伊藤仁斎の5男。長兄の東涯にまなび,享保(きょうほう)16年紀伊(きい)和歌山藩の儒官となる。東涯の遺児東所を養育し,家塾古義堂をささえる。父とことなり五経を重視して新解釈をうちだした。安永7年3月27日死去。85歳。京都出身。名は長堅(ながかた)。字(あざな)は才蔵。著作に「書反正」「詩経古言」など。
出典:講談社
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日本大百科全書(ニッポニカ)
伊藤蘭嵎
いとうらんぐう
(1694―1778)
江戸中期の儒者。名は長堅(ちょうけん)、字(あざな)は才蔵(さいぞう)、号は蘭嵎。伊藤仁斎(じんさい)の4男中の末子で、東涯(とうがい)の異母弟。長兄東涯の字の源蔵(げんぞう)とあわせて「伊藤(堀河(ほりかわ))の首尾蔵(しゅびぞう)」とたたえられた。若くして父を失ったので兄東涯から仁斎の学を教わり、1731年(享保16)紀州侯に仕え、子孫に儒職を伝えた。しかし、かならずしも家学を墨守せず、『大学』『中庸(ちゅうよう)』に異見をもち、父兄が重んじた『論語』『孟子(もうし)』より五経に力を入れ、『詩経古言』『書反正』『易本旨』『春秋聖旨』『読礼記』などの著書に独創的見解を示し、詩文集『紹衣稿(しょういこう)』を残している。
[石田一良 2016年4月18日]
『加藤仁平著『伊藤仁斎の学問と教育』(1940・目黒書店/復刻版・1979・第一書房)』
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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367日誕生日大事典
伊藤蘭嵎 (いとうらんぐう)
江戸時代中期の儒者;紀伊和歌山藩儒
1778年没
出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典
いとう‐らんぐう【伊藤蘭嵎】
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