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伊達政宗【だてまさむね】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

伊達政宗
だてまさむね
[生]永禄10(1567).米沢
[没]寛永13(1636).5.24. 江戸
安土桃山,江戸時代初期の武将。仙台藩の藩祖。輝宗の長子。幼名,梵天丸。天正 12 (1584) 年 10月家督を継ぎ,同 16年佐竹義重,蘆名義広,相馬義胤らと対戦,翌 17年蘆名義広を破り,黒川城に拠って陸奥,出羽を平定したが,同 18年豊臣秀吉に降伏して,会津,岩瀬,安積 (あさか) 郡などを没収された。慶長5 (1600) 年の関ヶ原の戦いには徳川方に属して上杉景勝と戦い,同8年居城を仙台に移し,仙台藩 62万石の基礎を築いた。大坂の陣にも徳川方として参戦,秀忠,家光の信任を得た。同 18年家臣支倉常長ローマに派遣したことは有名である。隻眼であったため独眼竜といわれた。

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デジタル大辞泉

だて‐まさむね【伊達政宗】
[1567~1636]安土桃山時代から江戸初期にかけての武将出羽の人。畠山・蘆名氏を倒して奥州を制覇。のち、豊臣秀吉に仕えて朝鮮出陣関ヶ原の戦い大坂の陣には徳川方につき仙台藩の基礎を固めた。キリシタンに関心をもち、支倉常長(はせくらつねなが)をローマに派遣。幼時に右眼を失明し独眼竜と称された。

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デジタル大辞泉プラス

伊達政宗
山岡荘八の歴史小説。1970年刊行。渡辺謙主演のNHK大河ドラマ独眼竜政宗」(1987)の原作

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伊達政宗
海音寺潮五郎の長編歴史小説。1964年刊行。

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世界大百科事典 第2版

だてまさむね【伊達政宗】
1567‐1636(永禄10‐寛永13)
戦国末期から江戸初期の大名。米沢城主,のち仙台城主。仙台藩祖。米沢城主伊達輝宗の子。母は山形城主最上義守の娘。幼名梵天丸。1577年(天正5)元服,伊達中興の祖大膳大夫政宗の名を襲い藤次郎政宗と称する。79年三春城主田村清顕の娘愛(めご)姫(陽徳院)と結婚,84年家督相続。翌年父輝宗が二本松義継のために不慮の死をとげたのち積極的に領土拡張に乗り出し,86年安達郡を入手,88年田村家中を掌握し,89年蘆名義広を磨上原(すりあげがはら)の戦に大敗させて会津地方を収めた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

伊達政宗
だてまさむね
(1567―1636)

安土(あづち)桃山時代~江戸初期の大名。仙台藩祖。永禄(えいろく)10年8月3日米沢(よねざわ)城主伊達輝宗(てるむね)の長男として誕生。母は山形城主最上義守(もがみよしもり)の娘。幼名梵天丸(ぼんてんまる)。1577年(天正5)元服(げんぷく)して藤次郎政宗と称し、1579年三春(みはる)城主田村清顕(きよあき)の娘愛姫(めごひめ)と結婚、1584年家督相続。父の死後、1589年蘆名(あしな)氏を破り会津を掌握し、須賀川(すかがわ)二階堂氏を滅ぼし、石川、白川両氏を服属させて、現在の福島県の大半と米沢地方および宮城県にわたる大領土を築いたが、1590年豊臣(とよとみ)秀吉に服属し、会津などを没収された。1591年米沢・伊達など旧領6郡のかわりに大崎・葛西(かさい)両氏の旧領を与えられ、玉造(たまつくり)郡岩出山(いわでやま)(宮城県大崎(おおさき)市)に移る。

 1600年(慶長5)関ヶ原の戦いののち、徳川家康から刈田(かった)郡を与えられて60万石(のち62万石)を領し、翌年仙台城を修築してここに移った。1607年塩竈(しおがま)神社、大崎八幡宮(はちまんぐう)、国分寺薬師堂、1609年松島瑞巌寺(ずいがんじ)を造営し、1626年(寛永3)には北上(きたかみ)川の石巻(いしのまき)流出などの土木工事を完成させて、仙台藩の米作と江戸廻米(かいまい)の基礎を据えた。南蛮との通商を企図し1613年家臣支倉常長(はせくらつねなが)をスペイン、ローマに派遣したが、幕府の切支丹(きりしたん)禁制強化のため目的を達しなかった(1620年帰国)。

 1585年従(じゅ)五位下美作守(みまさかのかみ)、1591年侍従兼越前(えちぜん)守、羽柴(はしば)姓、1597年(慶長2)従四位下右近衛権少将(うこんえのごんしょうしょう)、1608年陸奥(むつ)守、松平姓、1615年(元和1)正(しょう)四位下参議(さんぎ)、1626年従三位(じゅさんみ)権中納言(ごんちゅうなごん)。寛永(かんえい)13年5月24日江戸桜田邸で死去。70歳。仙台瑞鳳殿(ずいほうでん)に葬る。和歌、茶道、能楽に長じ能書家としても知られる。幼時右眼を失明。世に「独眼竜」とよばれた。1974年(昭和49)瑞鳳殿再建工事の際の調査によれば、身長159.4センチメートルで、同時代の日本人の平均身長を示した。

[小林清治]

『小林清治著『伊達政宗』(1959・吉川弘文館)』

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367日誕生日大事典

伊達政宗 (だてまさむね)
生年月日:1567年8月3日
安土桃山時代;江戸時代前期の大名
1636年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

だて‐まさむね【伊達政宗】
安土桃山・江戸初期の武将、大名。仙台藩主。輝宗の長男。幼名梵天丸、元服して藤次郎。天正一二年(一五八四)に家を継ぎ、以来会津・陸奥を平定。秀吉に降伏後、文祿の役に出陣。関ケ原の戦い、大坂の陣に徳川方で活躍、加封されて仙台藩の基礎を築いた。通商を企画し、慶長一八年(一六一三)支倉(はせくら)常長らをローマへ派遣した。隻眼の勇将として、独眼龍と称されたことは有名。永祿一〇~寛永一三年(一五六七‐一六三六

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旺文社日本史事典 三訂版

伊達政宗
だてまさむね
1567〜1636
安土桃山〜江戸時代初期の武将。初代仙台藩主
18歳で家督を継いで陸奥(福島県)伊勢郡を領有し,二本松の畠山氏を討った。佐竹・結城氏らの強力な連合軍の侵入を撃退し,1589年蘆名氏を滅ぼし会津を領有した。'90年豊臣秀吉が小田原後北条氏を攻めると,対抗を決意したが,小田原陣中で秀吉に服属。関ケ原の戦い(1600)では東軍に属し上杉景勝を攻め,功により62万石を与えられた。'13年には支倉 (はせくら) 常長をローマに派遣し,また和歌・茶道にも長じた。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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