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伏見天皇【ふしみてんのう】

美術人名辞典

伏見天皇
第九十二代天皇後深草天皇の第二皇子。名は熙仁。在位12年、34才で皇子の後伏見天皇に譲位し、のち薙髪する。書に巧みで和歌も能くした。藤原為兼を師として学び、御製歌集の他に勅撰集『玉葉集』、また日記『伏見院御記』等がある。文保元年(1317)崩御、53才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

ふしみ‐てんのう〔‐テンワウ〕【伏見天皇】
[1265~1317]第92代天皇。在位1287~1298。持明院統後深草天皇の第2皇子。名は熙仁(ひろひと)。大覚寺統後宇多天皇のあとを受けて即位両統迭立(てつりつ)を開いた。日記「伏見院宸記」がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

伏見天皇 ふしみてんのう
1265-1317 鎌倉時代,第92代天皇。在位1287-98。
文永2年4月23日生まれ。後深草天皇の第2皇子。母は藤原愔子(いんし)(玄輝門院)。大覚寺統の後宇多天皇からゆずられ即位。持明院統。正応(しょうおう)5年十三ヵ条の新制を制定し,政治の刷新をすすめるが,大覚寺・持明院両統の対立は激化する。子の後伏見天皇に譲位して後伏見・花園天皇の代に院政をしく。和歌,書にすぐれ,「玉葉和歌集」を撰進させた。文保(ぶんぽ)元年9月3日死去。53歳。墓所は深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は煕仁(ひろひと)。法名は素融。別名に持明院殿。歌集に「伏見院御集」,日記に「伏見院御記」。
【格言など】更(ふ)けぬるか過ぎ行く宿もしづまりて月の夜道にあふ人もなし(「玉葉和歌集」)

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ふしみてんのう【伏見天皇】
1265‐1317(文永2‐文保1)
第92代に数えられる天皇。在位1287‐98年。89代後深草天皇の第2皇子。母は洞院実雄の娘玄輝門院愔子。諱(いみな)は熙仁,持明院殿と称された。1287年(弘安10)10月践祚,翌年3月即位すると親政をしき,鎌倉末期の公家政治振興に努めた。院評定衆の代りに宮中に議定衆をおき,記録所に庭中訴訟を聞くなど,当時としては政治を刷新するものであった。このころ皇統が持明院・大覚寺両統に分かれ,皇位継承問題から激しい政争があった中で,伏見天皇は持明院統の地位を確立した。

出典:株式会社平凡社
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

伏見天皇
ふしみてんのう
[生]文永2(1265).4.23. 京都
[没]文保1(1317).9.3. 京都
第 92代の天皇 (在位 1287~98) 。持明院統,後深草天皇の第2皇子。母は玄輝門院藤原よし子。名は煕仁 (ひろひと) 。建治1 (75) 年大覚寺統の後宇多天皇の皇太子となり,弘安 10 (87) 年践祚。いわゆる両統迭立事象はこの時代から生じた。和歌,書にすぐれ,『玉葉和歌集』を撰進させた。また能書家名声が高く,鎌倉時代後期を代表する書家の一人。西本願寺の歌集残簡 (広沢切) が伝来する。日記『伏見院御記』がある。陵墓は京都市伏見区の深草北陵。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

伏見天皇
ふしみてんのう
(1265―1317)

鎌倉時代後期の天皇(在位1287~98)。名は煕仁(ひろひと)。持明(じみょう)院統の後深草(ごふかくさ)天皇の第2皇子。母は玄輝門院愔子(げんきもんいんいんし)。1275年(建治1)大覚寺(だいかくじ)統の後宇多(ごうだ)天皇の皇太子となり、87年(弘安10)即位。両統が交互に皇位につく例を開いた(両統迭立)。90年(正応3)までは後深草上皇の院政で、以後親政を行った。譲位後、後伏見・花園(はなぞの)両朝の院政を1313年(正和2)までとった。和歌と書にも優れ、京極為兼(きょうごくためかね)に『玉葉(ぎょくよう)和歌集』を撰修(せんしゅう)させた。日記『伏見院御記』があり、一部現存する。文保(ぶんぽう)元年9月3日没。御陵は京都市伏見区深草北陵。

[佐々木久彦]

『岩佐美代子著『あめつちの心――伏見院御歌評釈』(1979・笠間書院)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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367日誕生日大事典

伏見天皇 (ふしみてんのう)
生年月日:1265年4月23日
鎌倉時代後期の第92代の天皇
1317年

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

ふしみ‐てんのう ‥テンワウ【伏見天皇】
第九二代天皇。後深草天皇第二皇子。名は熙仁(ひろひと)。母は玄輝門院子。弘安一〇年(一二八七)大覚寺統の後宇多天皇の後をうけて即位。持明院統に属し、在位の一二年間は両統迭立のさなかにあった。和歌・書道にすぐれ、「玉葉和歌集」を京極為兼に撰集させた。また、上代様の書跡の一派を樹立。日記に「伏見天皇宸記」がある。陵墓は京都市伏見区の深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)。文永二~文保元年(一二六五‐一三一七

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