●伝通院【でんつういん】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
伝通院
でんつういん
[没]慶長7(1602).8.28. 伏見
江戸幕府初代将軍徳川家康の母,於大の方 (おだいのかた) の諡号。青木加賀守政信の娘で,母は大河内但馬守元綱の娘といわれる。水野右衛門大夫忠政の養女となって松平広忠に嫁した。天文 11 (1542) 年竹千代 (家康) を産んだが,父忠政が今川氏にそむいて織田氏についたため同 13年広忠と離縁,久松定俊に再嫁したが,老いてから家康のもとに帰り伏見城に居住。墓所は東京都文京区の無量山寿経寺 (→伝通院 ) 。
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伝通院
でんつういん
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デジタル大辞泉
でんずう‐いん〔デンヅウヰン〕【伝通院】
出典:小学館
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でんづう‐いん〔‐ヰン〕【伝通院】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
伝通院 でんつういん
享禄(きょうろく)元年生まれ。水野忠政の娘。天文(てんぶん)10年三河(愛知県)岡崎城主松平広忠にとつぎ家康を生む。父の死後,兄信元が松平氏と敵対していた織田氏に通じたため離縁される。尾張(おわり)阿久比(あぐい)領主久松俊勝と再婚。慶長7年家康にまねかれて伏見城にはいり,同年8月28日死去。75歳。江戸の伝通院に埋葬された。名は於大(おだい)。
出典:講談社
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世界大百科事典 第2版
でんづういん【伝通院】
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でんづういん【伝通院】
徳川家康の生母,於大(おだい)の方。伝通院はその法号。三河刈屋城主水野忠政の娘で,岡崎城主松平広忠に嫁して家康を生んだが,水野氏が松平氏と敵対している織田氏に荷担したために離別された。のち久松定俊(俊勝)に再嫁。1602年(慶長7)家康に招かれて伏見に行き,家康は生母として手厚く遇したが,同年,伏見城で没した。法号は伝通院光岳蓉誉智光大禅定尼。遺骸は江戸に送られ,徳川家の菩提寺芝増上寺の管する小石川の無量山寿経寺に葬られた。
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精選版 日本国語大辞典
でんずう‐いん デンヅウヰン【伝通院】
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