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佃戸【でんこ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

佃戸
でんこ
(1) dian-hu; tien-hu 中国で一般に小作人をさす。佃戸の名は西晋 (→) の頃からみえるが,時代により性格に相違がある。西晋代は主人と同じ戸籍に入れられ家内奴隷的であったと思われるが,代の均田制の時代には均田農民相互間の小作で,上下の別はなかったようである。均田制がくずれ代にかけて荘園制が発達してくると,佃戸は主家とは別戸籍となり独立した。中・近世には特に江南の経済的先進地帯では直接生産農民の主体を占めるようになり,佃農佃客などと呼ばれた。 (2) Jōn-ho 朝鮮の高麗時代には佃戸は田柴科耕作民で,良民的性格が強かったが,朝鮮王朝 (李朝) 時代には荘園の小作人的性格を強めた。

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デジタル大辞泉

でん‐こ【×佃戸】
中国、末に発生した小作農代には荘園の耕作に従事し、事実上農奴であったが、のちに自立し、代には地主と対等の関係にあった。

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世界大百科事典 第2版

でんこ【佃戸 diàn hù】
中国において,一般的用語としては小作人を意味し,漢代豪族の大土地所有の耕作者にまでさかのぼることができる。西晋(3世紀半ば)以降,佃客の呼称もあらわれるが,なお主家の家籍に付けられていて家内奴隷に近かったらしい。佃戸が基本的な生産の担い手として土地制度史上重要になってくるのは宋(10世紀)以後で,均田制にかわって私的大土地所有が発展,佃戸制が普及した。佃戸は一応独立した経営をもち,客戸として国家の戸籍に付けられ,身丁税を負担した。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

でんこ【佃戸】
中国の小作農。均田制崩壊後の唐中期から宋代にかけて、荘園の耕作者として一般化。宋では主家から独立していたが、経済的に多くを依存していた。明・清代には地位も向上。佃客。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

佃戸
でんこ
中国で小作人をさすもっとも一般的な呼称。佃客(でんきゃく)、地客(ちきゃく)、荘客(そうきゃく)、租戸(そこ)、種戸(しゅこ)などともいう。佃の本来の語義は田地を耕種すること、転じて賃借の意味にも用いられる。一般的にいって地主と佃戸の耕作関係には二つの型式があった。一つは、佃戸が地主より田地を賃借し、地代として約定した定額の田租を納めるもので、租田(そでん)、租種(そしゅ)とよばれていた。他の一つは、田地の賃貸関係はなく、地主が佃戸を募って自分の田地を代耕させ、その報酬として豊凶にかかわりなく一定の分率で収穫を分配するもので、分種(ぶんしゅ)、佃種(でんしゅ)とよばれていた。両者を併称する呼称は租佃(そでん)である。分種には、佃戸が耕牛、犂(すき)、耙(まぐわ)(あわせて牛具という)を用意して、犂耕(りこう)、播種(はしゅ)、鋤耘(じょうん)(中耕除草)、収穫を行うもの(収穫の分率は通常主佃中半)と、地主が牛具を用意するものとの二類がある。後者にはさらに、佃戸が地主の家の牛具を用いて犂耕から収穫に至る作業を行うもの(主佃73)と、犂耕をせずに鋤耘、収穫の作業を負担するもの(主佃82)とがあった。分種は、在村の中小地主が自作にかわる自己経営の方式として近隣の貧農を用いて行い、租田は、大地主、とくに寄生的な都市在住の地主の所有地で多くみられた。また地域的には華北に分種が多く、華中、華南で租田が多い傾向がみられた。
 歴史的にこのような租佃様式が成立するのは唐中期以後である。宋(そう)代では、租田を租賃、租種、分種を分収(ぶんしゅう)、合種(ごうしゅ)、半種(はんしゅ)、分田(ぶんでん)、分鋤(ぶんじょ)などとよんで両者を類別していた。租田の田租は、穀作田ではアワ、ムギ、マメ、イネなどその田で栽培される主要な穀物の一定量で定められ、畑や商品価値の低い作物しかできない瘠地(せきち)では銭租がとられていた。銭租の事例は宋代から認められる。分種では栽培したすべての作物の穀物と藁(わら)とが分配の対象となっていた。宋代では佃戸は地主に対して法的に不平等な地位に置かれ、佃戸が地主やその家族に対して暴行傷害致死の罪を犯すと一般の場合より重く罰せられ、逆に地主の佃戸に対する犯罪は刑量を軽くされていた。明(みん)代になるとこうした不平等はなくなった。また明代になると、佃戸は租田の開墾、改良に労働資財を投じたり、あるいは押租(おうそ)(田租の保証金)を納めたりして地主に対して債権をもち、この債権を譲渡する形式をとって租田を別人に譲渡する慣行が広まっていった。佃戸によって別人に譲渡される租田は一般に田面(でんめん)とよばれ、田面に対置される地主の所有権は田底(でんてい)とよばれていた。南北朝以前のことはあまり明らかでない。耕作者が耕牛をもつか否かで分率を変える関係が三国期に認められるが、分種と同じ関係かどうか、租田慣行の由来とともに詳考すべきところである。[草野 靖]
『草野靖著『大土地所有と佃戸制の展開』(『岩波講座 世界歴史9 中世3』所収・1970・岩波書店) ▽周藤吉之著『中国土地制度史研究』(1954・東京大学出版会) ▽天野元之助著『支那農業経済論 上』(1940・改造社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

でん‐こ【佃戸】
〘名〙 中国の小作農家。その性格は時代により異なる。南北朝時代は家内奴隷的存在、均田制の崩壊した唐の中期以降、荘園の耕作者として一般化し、宋代には戸籍上、主家から独立していたが、経済的に多く依存していた。しかしその地位は徐々に向上し、明・清時代に永小作権が確立。中華人民共和国の成立により小作関係は消滅した。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社世界史事典 三訂版

佃戸
でんこ
中国で地主(形勢戸)や郷紳らの土地を耕作し,租(地代)を納め,役(賦役労働)に従う農奴的小作人。荘客・佃客・客戸ともいう
宋代以後,毎年一定した定額租,または収穫の半分くらいを納める分益租を地主に納入した。いずれも過重な負担で,歴代王朝は佃戸救済の田租軽減策をとったが,限界があった。なお唐の中期から荘園の発達に伴い,種々の束縛をもちつつ地主から独立し,宋代には少し身分も向上し,・清以後,小作権成立したという説もある。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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