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佐々木経高【ささき つねたか】

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

佐々木経高 ささき-つねたか
?-1221 鎌倉時代の武将。
佐々木秀義(ひでよし)の次男平治(へいじ)の乱後,相模(さがみ)(神奈川県)の渋谷荘にのがれる。治承(じしょう)4年源頼朝の挙兵にくわわり,功をたてて淡路(あわじ),阿波(あわ),土佐守護となった。承久(じょうきゅう)の乱では後鳥羽(とば)上皇方に属して敗れ,北条泰時(やすとき)に降伏をうながされたが,承久3年6月16日自害。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ささきつねたか【佐々木経高】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

日本大百科全書(ニッポニカ)

佐々木経高
ささきつねたか
(?―1221)
鎌倉初期の武将。秀義(ひでよし)の次子。母は宇都宮(うつのみや)氏の女(むすめ)。中務丞(なかつかさのじょう)。通称次郎。平治(へいじ)の乱後相模(さがみ)国渋谷荘(しぶやのしょう)(神奈川県藤沢・大和(やまと)・綾瀬(あやせ)市近辺)に住し、1180年(治承4)の源頼朝(よりとも)の挙兵に際して活躍、その戦功により淡路、阿波(あわ)、土佐の守護職に任ぜられた。1200年(正治2)淡路の国務不履行のかどで後鳥羽院(ごとばいん)に訴えられ守護職を奪われたが翌年許された。03年(建仁3)院の命を受けて延暦寺(えんりゃくじ)堂衆(どうしゅう)を討った。21年(承久3)承久(じょうきゅう)の乱には院の側近にあって作戦の参画にあずかったが敗れ、土佐の鷲尾(わしお)(高知県高知市)に退いた。六波羅(ろくはら)に入った北条泰時(やすとき)は罪を許したが、同年6月16日自害した。法名経蓮(けいれん)[太田順三]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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