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佐藤栄作【さとう えいさく】

美術人名辞典

佐藤栄作
政治家。山口県生。岸信介。東大卒業後鉄道省に入り、運輸次官をつとめたが退官民主自由党入党し、第二次吉田茂内閣の官房長官をはじめとして大臣歴任した。昭和39年に自民党総裁に就任、以後七年八ヶ月間政権を担当した。その間、日韓基本条約の締結・日米安保条約自動延長・沖縄返還を実現、非核三原則などの政策によってノーベル平和賞受賞した。昭和50年(1975)歿、74才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

さとう‐えいさく【佐藤栄作】
[1901~1975]政治家。山口の生まれ。岸信介実弟。運輸官僚から政界に転じ、昭和39~47年(1964~1972)自由民主党総裁・首相。昭和49年(1974)、ノーベル平和賞受賞。→田中角栄

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

佐藤栄作 さとう-えいさく
1901-1975 昭和時代後期の政治家。
明治34年3月27日生まれ。佐藤市郎,岸信介の弟。運輸次官をへて,昭和23年第2次吉田内閣の官房長官。翌年,衆議院議員(当選10回)。25年自由党幹事長となるが,造船疑獄事件で辞任。のち蔵相,通産相などを歴任し,39年自民党総裁,首相。7年8ヵ月政権をにない,日韓基本条約を締結し,沖縄返還を実現した。49年ノーベル平和賞。昭和50年6月3日死去。74歳。山口県出身。東京帝大卒。
【格言など】沖縄が祖国に返らなければ,日本の戦後は終らない

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

さとうえいさく【佐藤栄作】
1901‐75(明治34‐昭和50)
昭和戦後期の政治家。山口県出身。東大法学部卒業。鉄道省に入る。1947年運輸事務次官。吉田茂首相に見込まれ,49年総選挙で池田勇人,前尾繁三郎らとともに官僚出身保守党政治家の道を歩む。官房長官や幹事長郵政相,建設相などを歴任,54年造船疑獄では逮捕直前に犬養健法相の指揮権発動で救われた。自民党に加わってからは蔵相,通産相などのほか派閥の長として総裁選立候補,64年11月,吉田派閥の直系として首相に指名される。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

さとうえいさく【佐藤栄作】
1901~1975 政治家。山口県生まれ。東大卒。運輸省から政界入り。1964年(昭和39)から72年まで自由民主党総裁・首相の座にあり、高度経済成長政策、日米安保条約自動延長、沖縄返還などの政策を推進した。1974年(昭和49)ノーベル平和賞を受賞。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

佐藤栄作
さとうえいさく
[生]1901.3.27. 山口
[没]1975.6.3. 東京
政治家。内閣総理大臣(首相。在任 1964~72)。7年8ヵ月の長期政権記録をつくった。岸信介の実弟。第五高等学校,東京大学を卒業後,鉄道省に入り運輸次官を務めた。1948年民主自由党に入党,同年第2次吉田茂内閣の官房長官。のち,郵政大臣,建設大臣,国務大臣などを歴任し,1964年病気辞任した池田勇人のあとを継いで自由民主党総裁,内閣総理大臣となり,国際労働条約ILO条約)の承認,日韓基本条約調印,大学臨時措置法の成立,沖縄返還協定の調印(→沖縄返還)などを実現した。在任全期間を通じて野党マスメディアから「官僚政治」「対米依存」と非難されつつも,単独与党,絶対多数の政局安定を持続した。1974年ノーベル平和賞受賞。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

佐藤栄作
さとうえいさく
(1901―1975)
政治家。岸信介(のぶすけ)の実弟。明治34年3月27日山口県生まれ。1924年(大正13)東京帝国大学法学部卒業後鉄道省に入り、1946年(昭和21)鉄道総局長官、1947年運輸次官となる。その間吉田茂(よしだしげる)の知遇を受け、1948年退官して自由党に入り、同年10月第二次吉田内閣の官房長官に就任した。1949年山口2区より衆議院議員に初当選、以後連続10回当選。1950年4月自由党幹事長、さらに第三次吉田内閣の郵政相、第四次吉田内閣の建設相を経て1953年2月ふたたび幹事長になるなど吉田派の中心人物の地位にのし上がった。1954年4月造船疑獄に連座し逮捕が必至となったが、犬養健(いぬかいたける)法相の異例の指揮権発動で救われた。その後も蔵相、通産相、自民党幹事長などを歴任、吉田派を継承し党内最大派閥の佐藤派を築いた。1964年の総裁選では池田勇人(いけだはやと)3選に反対して立候補したが敗れた。しかし池田の病気引退により同年11月首相となり、以後7年8か月の長期にわたり政権を維持した。佐藤は「人事の佐藤」「待ちの佐藤」といわれたように、党内操縦術に抜群の手腕を示すとともに、状況に追随し手堅く無難な選択を行う守りの政治を特徴とした。それは、高度成長期には適合的な政治スタイルで、長期政権の秘訣(ひけつ)もここにあったが、1970年代以降の時代の変化には対応しきれないもので、それは1971年のニクソン・ショック(ドル危機、米中接近)に典型的に示された。1972年5月の沖縄返還を花道に7月引退した。1974年アイルランドのマクブライドSen MacBride(1904―1988)とともにノーベル平和賞受賞。昭和50年6月3日死去。[伊藤 悟]
『富森叡児著『戦後保守党史』(1977・日本評論社) ▽岡本文夫著『佐藤政権』(1974・白馬出版) ▽山田栄三著『正伝佐藤栄作』上下(1988・新潮社) ▽『佐藤栄作日記』全6巻(1997~1999・朝日新聞社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

さとう‐えいさく【佐藤栄作】
政治家。山口県出身。東大法学部卒。岸信介の弟。運輸省退官後、無議席で吉田内閣の官房長官となる。以来、党および内閣の要職を歴任。昭和三九年(一九六四)から同四七年まで自由民主党総裁、首相。同四九年ノーベル平和賞受賞。明治三四~昭和五〇年(一九〇一‐七五

出典:精選版 日本国語大辞典
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