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信貴山城【しぎさんじょう】

日本の城がわかる事典

しぎさんじょう【信貴山城】
奈良県生駒郡平群町にあった山城(やまじろ)。戦国時代の下克上(げこくじょう)の代表的な人物、松永久秀(ひさひで)の居城。1536年(天文5)、河内国守護職であった畠山氏の家臣木沢長政が信貴山城を築いたが、1542年(天文11)に長政は討ち死にし、城は廃れた。1559年(永禄2)から翌年にかけて、この城を大改修したのは松永久秀であった。標高433mの信貴山は河内国と大和国を結ぶ要衝の地で、山上に東西・南北とも500mを超す放射状連郭の城を築いた。久秀は足利幕府の三管領筆頭細川氏の重臣三好氏の家臣で、三好氏が主家の細川氏をしのいで畿内を支配するようになると、久秀も大和一円に勢力をのばした。主家の三好氏にとってかわるため、三好一族間に反目を引き起こすなど、久秀はさまざまな策謀をめぐらした。1564年(永禄7)に三好長慶(ながよし)が亡くなると、久秀は畿内随一の実力者にのしあがった。久秀は一時織田信長に臣従したが反旗を翻し、1577年(天正5)に信長の大軍に攻められ自害、信貴山城は落城した。現在の信貴山山腹の朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)の空鉢御法堂(くうはつごほうどう)が信貴山城の本丸跡で、「信貴山城址」の石碑と実測図が描かれた案内板が設置されている。JR関西本線王子駅または近鉄生駒線信貴山下駅からバス10分。

出典:講談社
(C)Kodansha.
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世界大百科事典 第2版

しぎさんじょう【信貴山城】
大和・河内国境にある生駒山系の南部,信貴山(標高437m)にあった中世山城(,奈良県生駒郡平群町信貴畑)。東の平群(へぐり)谷,南の大和川沿い竜田越(たつたごえ),北の生駒山十三越からほぼ等距離にあり,大和,河内をあわせ制圧する絶好の戦略的位置にある。元弘の乱(1331)後,護良(もりよし)親王が一時中腹の朝護孫子寺毘沙門堂に拠ったように,南北朝時代いらいたびたび国人らが陣所とした。本格的築城は1536年(天文5)が最初で,河内の木沢長政が大和の制圧を目ざし,築城して居城とした。

出典:株式会社平凡社
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