●修禅寺物語【しゅぜんじものがたり】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
修禅寺物語
しゅぜんじものがたり
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朝日新聞掲載「キーワード」
修禅寺物語
(2006-12-28 朝日新聞 朝刊 静岡 1地方)
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デジタル大辞泉
しゅぜんじものがたり【修禅寺物語】
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世界大百科事典 第2版
しゅぜんじものがたり【修禅寺物語】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
修禅寺物語
しゅぜんじものがたり
岡本綺堂(きどう)作の戯曲。1幕3場。1911年(明治44)1月『文芸倶楽部(くらぶ)』に発表。同年5月明治座で2世市川左団次らにより初演。伊豆の修禅寺の面(おもて)作り師夜叉王(やしゃおう)は将軍源頼家(よりいえ)の命で面を打つが、死相が現れて満足のゆく作品ができない。しかし催促にきた頼家はその面が気に入り、持ち帰るとともに、夜叉王の姉娘のかつらを側女(そばめ)とし若狭(わかさ)の局(つぼね)と名のらせる。やがて頼家は北条の討手に襲われ落命し、かつらはその面をつけて身代りにたとうとして深傷(ふかで)を負って家に戻る。夜叉王は頼家の運命が面に現れたものと、自身の技芸に満足し、断末魔の娘の顔を写生する。綺堂が、修禅寺の寺宝の頼家の面と称する古色蒼然(そうぜん)たる面をみて詩趣を覚えて創作したもので、歌舞伎(かぶき)の伝統を巧みに生かしながら、新鮮味を盛った作として彼の出世作となり、新歌舞伎の代表作ともなった。左団次の訪露公演(1928)の演目にも加えられ、彼の「杏花(きょうか)戯曲十種」の一つとなった。広く海外にも翻訳紹介されている。
[菊池 明]
『『岡本綺堂戯曲選集1』(1958・青蛙房)』
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精選版 日本国語大辞典
しゅぜんじものがたり【修禅寺物語】
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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典
修禅寺物語
しゅぜんじものがたり
- 作者
- 岡本綺堂
- 初演
- 明治44.5(東京・明治座)
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