●俳優【はいゆう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
俳優
はいゆう
actor; actress
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デジタル大辞泉
はい‐ゆう〔‐イウ〕【俳優】
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わざ‐おぎ〔‐をぎ〕【俳=優】
1 こっけいな動作をして歌い舞い、神や人を慰め楽しませること。また、それをする人。
「吾れ将に汝(いましみこと)の―の民たらむ」〈神代紀・下〉
2 こっけいな事柄。
「されどいと興ある―なれば」〈滑・旅眼石〉
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世界大百科事典 第2版
はいゆう【俳優】
[〈俳優〉という言葉の周辺]
今日の日本でわれわれ知るところの俳優という概念は,ほぼ近代西洋演劇におけるそれの移入であると言ってよい。すなわち,具体的には英語でいえばアクターactor,フランス語でいうとアクトゥールacteurまたはコメディアンcomédien,ドイツ語ではシャウシュピーラーSchauspielerといった近代西洋語の指し示すものがそれに当たる(なおフランス語のニュアンスとしては,アクトゥールがときに自分の人格を役に押しつけ気味なのに対して,コメディアンはもっと広く深く,自分を消してさまざまの役に変身でき,アクトゥールよりまさる者とされたりもしている)。
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はいゆう【俳優 pái yōu】
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わざおぎ【俳優】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
俳優
はいゆう
音声と動作を主体に全身的表現により、観客を前にして劇を演じる人。演劇は総合芸術であるが、その根本は俳優にある。したがって俳優の起源をどこに求めるかで、演劇のとらえ方も変わる。その意味で俳優の歴史は演劇の歴史である。
[石澤秀二]
外国
古代ギリシア初期(前6世紀)の、ディオニソス神をたたえる円舞合唱で、合唱隊と対話する合唱指揮者を古代ギリシア劇俳優の起源とするのが通説である。俳優にあたるギリシア語ヒポクリテスhypokritesは「こたえる人」の意。そしてアイスキロスらの悲劇時代には、3人の俳優に分化し、劇詩の物語を展開する劇中人物の役を分担し、ローマ時代には一作品に登場する俳優数の制約はなくなった。現在、俳優にあたる英語アクターactor、フランス語アクトゥールacteurはラテン語actorを語源とし、「行為、行動、作用」を意味する語actioから派生した。
中国でも俳優の源は古代の祭司である巫(ふ)にみられ、のちにそれらの祭祀(さいし)から歌舞や滑稽(こっけい)な諧謔(かいぎゃく)戯言で主君に仕える者が出た。これを「優」または「優人」と称し、歌唱中心の者を「倡優(しょうゆう)」といった。孔子の言行録にもあるところから、前5世紀の周代には、伶(れい)人(舞人)、楽人と区別された優人が独立していたことになる。
日本では8世紀に成立した『古事記』『日本書紀』に記された天鈿女命(あめのうずめのみこと)の岩戸開きの舞とか海幸山幸伝説の模倣所作が俳優の起源とされ、「わざおぎ」といわれた。「わざ」とは呪術(じゅじゅつ)的な身体動作で、「おぎ」は神霊を招(お)ぐこと、つまり呪術的な憑依(ひょうい)行動に巧みな人をいい、漢字の「俳優」をあてた。したがって日本では巫的要素が強いともいえる。神社に奉納される神楽(かぐら)などは、現在でも「わざおぎ」の名残(なごり)を伝える。
洋の東西を問わず、生活ないしは生産に結び付いた神事、呪術、労働の行為模倣に始まる変身、憑依行動者を俳優の先駆とすることができよう。
ギリシア末期からローマ期に栄えた劇団はキリスト教支配の中世では弾圧され、教会管理による信者主体の素人(しろうと)たちによる宗教劇が行われた。しかしその一方で、ローマ期以来の流れをくむ滑稽な物真似(ものまね)芸ミモスを中心とする大道芸人が、社会的、宗教的に軽視されながら専門化の道を歩んだ。またシェークスピア劇に描かれたような宮廷道化が領主に仕えるようにもなった。そして西欧で職業的専門俳優団が再生するのは、ルネサンスを迎える16世紀初頭のイタリアが最初である。すなわち仮面即興喜劇コメディア・デラルテが隆盛し、ヨーロッパ巡演を行い、女優も登場した。さらに16世紀後半のロンドンには俳優兼作者のシェークスピアが登場し、劇団を率いて演劇活動を行い(女優はまだ登場しない)、17世紀に入るとパリに、俳優兼作者兼劇団リーダーのモリエールが活動し、女優も活躍する。しかし、モリエールでさえキリスト教の葬儀は拒否されたように、社会的地位は依然として低かった。やがてルネサンス期を経るなかで、各国語が成立し、劇文学が確立していき、常設劇場や上演集団もつくられ、演劇が発展する。俳優も職業的に専門化し、芸術的に自立していったが、近代以前の俳優はいまだ富裕な支配者層の保護下にあったといえよう。
中国でも歴代の皇帝は儒教の倫理に反し、礼式の厳格な雅楽より、劇的で奔放な俗楽や散楽を好んだといわれ、優人は散楽人と同列に扱われた。なかでも唐の玄宗皇帝(8世紀)は散楽倡優の技を奨励し、宮中の「梨園(りえん)」に男・女優数百人を養成したといわれ、後世の俳優たちは玄宗を俳優の祖神とたたえた。
[石澤秀二]
日本
日本では仏教渡来以降、女性禁忌の風潮が強まり、中世では寺社に仕える法体の男性芸人が主体となった。劇団組織をもつ職業的俳優団の成立は中世後期(14世紀)の田楽(でんがく)座や猿楽(さるがく)座が最初であり、このころから演技者をさす役者ということばが使われるようになった。そして室町期に入り、足利義満(あしかがよしみつ)の保護を受けた観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)父子により能楽が大成された。17世紀初頭、出雲(いずも)の阿国(おくに)による歌舞伎(かぶき)踊りは、民衆相手の巫女(みこ)的女芸人の出現だが、女歌舞伎は1629年(寛永6)に禁止され、成人男子のみを役者とすることにより現在の歌舞伎の基礎が確立し、女方(おやま)芸という独特な演技術も成立した。こうして明治期に入るまでは、女役者の存在は公認されず、役者の社会的地位も低かったが、日本の近代化とともに女優が公認され、俳優の地位も確立されていった。現在では「俳優」も「役者」も同義に使われるが、アクターとコメディアンの区別に対応させて、演劇論的に両者を峻別(しゅんべつ)する考え方もある。また西欧の演劇が、どちらかといえば戯曲中心であるのに対し、日本の演劇は俳優中心に展開してきたといえよう。
[石澤秀二]
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精選版 日本国語大辞典
はい‐ゆう ‥イウ【俳優】
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わざ‐おぎ ‥をぎ【俳優】
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