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俳論【はいろん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

俳論
はいろん
俳諧の用語。厳密には俳諧の原理,本質についての理論および批評をいうが,江戸時代のいわゆる俳論書には,本質論,技法論,史論,式目作法,語彙など種々雑多なものが混在している。また,一般の俳書の序跋などに注目すべき説のある場合が多い。重要な俳論には,貞門の俳言説,談林の寓言説,蕉風の風雅の誠論,与謝蕪村の離俗論,正岡子規の写生説,高浜虚子の花鳥諷詠論などがある。代表的文献は,貞門の『新増犬筑波集』 (『油糟』『淀川』,貞徳) ,『誹諧初学抄』 (徳元,1641) ,談林の『近来俳諧風体抄』 (惟中,79) ,蕉門の『去来抄』 (去来) ,『三冊子』 (土芳) ,『旅寝論』 (去来,1778) ,『俳諧問答』 (許六,去来,85) ,中興期の『春泥句集』序文 (蕪村,77) ,『加左利那止』 (白雄,71) ,明治の『獺祭書屋俳話 (だっさいしょおくはいわ) 』 (子規) ,『俳諧大要』 (子規,1895) ,大正の『乙字俳論集』 (1921) など。

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世界大百科事典 第2版

はいろん【俳論】
俳諧・俳句用語。俳諧・俳句の本質,理念,方法,規則,語彙などに関する論の総称。その発生は早く歌論,連歌論の中に見いだされる。俳諧の原義を滑稽,狂言などに求めた藤原清輔の《奥儀抄》や順徳院の《八雲御抄》,俳諧を連歌の一風体としてとらえた二条良基の《連理秘抄》などがそれである。しかし真の意味の俳論は,文芸の一ジャンルとして確立された〈俳諧之連歌〉の論でなければならない。 貞門においては,松永貞徳の〈十首式目歌〉(1628成立)を嚆矢(こうし)として85部の俳論が書かれた。

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大辞林 第三版

はいろん【俳論】
俳諧・俳句についての理論や批評。代表的俳論書に「去来抄」「三冊子」などがある。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

俳論
はいろん
俳諧(はいかい)や俳句に関する論のこと。本質論、表現論、修辞論などを含むが、近世の俳論においては、体系的な論はまれで、ルールとしての式目作法的なものが大半を占める。また、その源流としての連歌(れんが)に対する俳諧自体の意味づけを問うところから出発した俳論の成立には、連歌論、歌論からの影響が大きい。まず近世初期、貞門派の開祖貞徳は『御傘(ごさん)』『油糟(あぶらかす)』『淀川(よどがわ)』の三部書などを著して俳諧の式目を整備するとともに、俳諧が和歌・連歌の雅に対する俗、優美に対する滑稽(こっけい)を生命とするものであることを規定し、また俳言(はいごん)(俗語や漢語)を嫌わず用いるところに俳諧の本質があるとした。貞徳門是誰(これたれ)の『玉くしげ』、徳元(とくげん)の『俳諧初学抄(しょがくしょう)』などにその立場の継承がうかがえる。これに対して新たに台頭した談林(だんりん)派では、総帥宗因(そういん)の、俳諧を「夢幻の戯言(ざれごと)」(阿蘭陀丸二番船(おらんだまるにばんせん))とみる立場を発展させて、門下の論客惟中(いちゅう)は『俳諧蒙求(もうぎゅう)』などに、『荘子(そうし)』の論に基づく寓言(ぐうげん)論を唱えて、談林俳諧の無心所着(むしんしょじゃく)にして自由奔放な吟調の論理的な正当化を図った。両派の間に激しい論争がおこったのもこの時期である。
 ついで元禄(げんろく)期(1688~1704)の蕉風(しょうふう)俳論に至ると、俳論は高度な展開をみせ、俳諧本質論としての風雅の誠(まこと)、不易流行(ふえきりゅうこう)、造化随順(ぞうかずいじゅん)、高悟帰俗(こうごきぞく)、美的理念としてのさび・しをり・細み・軽み、付合(つけあい)論としての匂(にほ)ひ・うつり・ひびき・俤(おもかげ)など、さまざまな角度から説かれることになるが、その中心命題は「風雅の誠」を責め悟ることによって「俗語を正す」という理念を確立したところにあった。芭蕉(ばしょう)にとって俳諧の俗とは日常の次元の現象であり、これを詞(ことば)のうえで「懐しくいひとる」こと――すなわち詩の次元で雅に導いてゆくところに蕉風の誠の真髄をみいだしたのであった。俳諧の滑稽もまた蕉風にあっては、もはや観念の落差による笑いではなく、イメージの微妙な交流によるフモール(ユーモア)としてとらえられる。したがって表現においても、一句の「姿(景)」、つまり形象性が重視される方向に進んだ。去来の『旅寝論(たびねろん)』『去来抄』、土芳(とほう)の『三冊子(さんぞうし)』、支考の『葛(くず)の松原(まつばら)』『続五論(ぞくごろん)』『俳諧十論』、許六(きょりく)の『俳諧問答』『宇陀法師(うだのほうし)』、其角(きかく)の『雑談(ぞうだん)集』などに、それらの芭蕉の俳諧観およびそれに対する門人たちの理解の仕方をうかがうことができる。
 その後、享保(きょうほう)期(1716~36)以降では、蕉風俳論は、其角ら江戸座流の「洒落(しゃれ)」の俳諧と、支考ら美濃(みの)派流の「姿」尊重の詩風との二分流を形成していったが、安永(あんえい)・天明(てんめい)(1772~89)の中興期に至ると、その蕉風復興運動の高揚のなかで、俳論はふたたび活発化し、初期蕉風を尊重する麦水(ばくすい)の『俳諧蒙求(もうぎゅう)』や後期蕉風を理想とする闌更(らんこう)の『有(あり)の儘(まま)』、白雄(しらお)の『加佐里那止(かざりなし)』の説などが提示され、前者の系列につながる蕪村(ぶそん)も『春泥(しゅんでい)句集』序文に名高い離俗論を説いて、胸中の俗気を去り、高邁(こうまい)な詩情を目ざす立場を明確にした。さらに化政期以降になると、俳論は多く考証的解説に傾いて創造性に乏しくなるが、それでも成美(せいび)の『随斎(ずいさい)諧話』、士朗(しろう)の『枇杷園(びわえん)随筆』など注目されるものも少なくない。
 また、正岡子規(しき)の俳句革新運動によって幕開きされた近代俳句史の流れにおいても、写生説を提唱する子規の『獺祭書屋(だっさいしょおく)俳話』『俳諧大要』をはじめとして、河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)ら新傾向俳句の季題無用論、大須賀乙字(おつじ)の季感象徴論、高浜虚子の花鳥諷詠(ふうえい)論へと展開し、第二次世界大戦後では、桑原武夫(たけお)のいわゆる俳句第二芸術論や、山本健吉の純粋俳句論などが、大きな影響を与えた。[堀切 實]
『栗山理一他校注・訳『日本古典文学全集51 連歌論集・能楽論集・俳論集』(1973・小学館) ▽白石悌三・尾形仂編『鑑賞日本古典文学33 俳句・俳論』(1977・角川書店)』

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精選版 日本国語大辞典

はい‐ろん【俳論】
〘名〙 俳諧・俳句に関しての議論、論説。

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デジタル大辞泉

はい‐ろん【俳論】
俳諧俳句に関する理論や批評。

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