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側用人【そばようにん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

側用人
そばようにん
江戸幕府の職名。将軍命令老中に伝達することを司った。定員は1名。天和1 (1681) 年に牧野成貞が任じられたのが最初である。貞享1 (84) 年大老堀田正俊が刺殺されてから将軍の居室大老,老中の御用部屋から遠ざけられ,その取次ぎをする側用人の役割が大きくなった。柳沢吉保間部詮房田沼意次水野忠成 (ただあきら) らが有名。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

そば‐ようにん【側用人】
江戸幕府の職名。将軍に近侍し、老中上申その他を伝え、可否を献議する要職で、老中の次に位した。御側御用人

出典:小学館
監修:松村明
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とっさの日本語便利帳

側用人
江戸幕府において、将軍と老中、若年寄、三奉行など政治の実際に関わる者の間を取り持つ役職。綱吉の時代に制度が確立し、以後幕府の主導権を握る。柳沢吉保、田沼意次などが有名。その後、第八代将軍徳川吉宗(在職一七一六~四五)が享保改革断行、側用人制度を廃止した。

出典:(株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」

世界大百科事典 第2版

そばようにん【側用人】
江戸幕府将軍近侍の役職。1681年(天和1)創置。このときまで近侍の最高の職は側衆で,大名が就任することもまれではなかったが,旗本役で,その地位は若年寄の下であった。5代将軍徳川綱吉は就任の翌年この職を設け,館林藩主時代の家老牧野成貞をこれに登用し,政務に関し上意,下問あるいは上申など表方との取次ぎに当たらせ,また側近として意見の具申を行わせた。成貞は官位は従四位下侍従に昇り,石高も逐次加増されて7万3000石,下総関宿城主となり,行列に持槍2本を許されるなど老中同格の待遇を受けたので,近侍の地位はいちじるしく高まった。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

そばようにん【側用人】
江戸幕府の職名。将軍の側近く仕え、その命令を老中に伝達し、また老中よりの上申などを将軍に取り次ぎ、さらに将軍に意見を具申する重職。定員一名で、待遇は老中に準ずるが、権勢は老中をしのいだ。柳沢吉保・田沼意次などが有名。御側御用人。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

側用人
そばようにん
江戸時代、主君の側(そば)近く仕えて庶務に携わった職。江戸幕府では将軍側近の最高の職。5代将軍徳川綱吉(つなよし)に仕えた牧野成貞(なりさだ)が1681年(天和1)に側衆より登用されたのが最初とされている。近世初頭の近習出頭人(きんじゅしゅっとうにん)や、3代将軍家光(いえみつ)に近侍した堀田正盛(ほったまさもり)にその源流を求める説もある。つねに将軍の側にあって、将軍の意志・命令を老中に伝達し、老中よりの上申を将軍に取り次ぐことをおもな職務とした。天和(てんな)期(1681~84)以降幕末までにこの職に就任した者は30名を数えるが、かならずしも常置されていたわけではなく、このうち15名は綱吉時代の補任(ぶにん)である。そのなかでもとくに綱吉の寵遇(ちょうぐう)を得た牧野成貞と柳沢吉保(やなぎさわよしやす)が、老中格や大老格の待遇を与えられて老中をもしのぐ権勢を振るったことは有名。正徳(しょうとく)期(1711~16)には、6代家宣(いえのぶ)、7代家継(いえつぐ)の側用人間部詮房(まなべあきふさ)が将軍の権威を背景にして幕政を左右した。その後享保(きょうほう)期(1716~36)には側用人に類似した御側御用取次が設置されて、側用人は置かれなかったが、宝暦(ほうれき)期(1751~64)に復活し、9代家重(いえしげ)のもとで大岡忠光(ただみつ)、10代家治(いえはる)のもとで田沼意次(おきつぐ)、11代家斉(いえなり)のもとで水野忠成(ただあきら)らが勢力を張った。もっともこの段階に至ると、天和~正徳期と異なり、田沼意次のごとく、低い家柄の出身者でも譜代(ふだい)大名と等しく正規の行政職たる老中に就任できるようになり、側用人は老中に昇進するための一階梯(かいてい)として位置づけられた。また、西丸(にしのまる)側用人が置かれたこともあった。[松尾美恵子]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

そば‐ようにん【側用人】
〘名〙
① 江戸幕府の職名の一つ。将軍に近く仕えて、将軍の命を老中に伝達し、また老中の上申を将軍に取り次ぐ要職。その格式は老中に準ずるが、その職務上の権力は老中をしのいだ。定員は一名(欠くこともある)で、一万石以上の譜代大名が任命された。御側御用人。
※徳川実紀‐貞享四年(1687)二月二四日「御側用人代参つかふまつりしなり」
② 大名・旗本などの家で、主君のそば近く仕えて庶務・会計などに当たった職。
※夜明け前(1932‐35)〈島崎藤村〉第一部「水戸家の元側用人(ソバヨウニン)で、一方の統率者なる小四郎は」

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

側用人
そばようにん
江戸幕府の職名
常に将軍の側近にあって,その命を老中に伝え,老中の意見を上申する任務をもち,老中につぐ重職とされた。職務上将軍の諮問にあずかることが多く,事実上幕政の実権を握ったこともある。5代将軍徳川綱吉のときの柳沢吉保 (よしやす) ,6代家宣・7代家継の間部詮房 (まなべあきふさ) ,10代家治の田沼意次 (おきつぐ) などが有名。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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