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元和大殉教【げんなだいじゅんきょう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

元和大殉教
げんなだいじゅんきょう
江戸時代初期のキリシタン大弾圧事件。幕府がキリシタン禁教,迫害をよりいっそう進めた元和年間(1615~24)は殉教者が多く出たが,特に元和8(1622)年8月5日長崎立山における迫害は,イエズス会スピノラをはじめ,ドミニコ会士,フランチェスコ会士,日本人木村セバスチアンなど,バテレン 9人,諸修道会のイルマン 13人,ほかに信者の男 13人,女 14人,子供 6人を合わせて計 55人が火刑もしくは斬首された。その際の「従容迫らざる態度」は世人を驚嘆させ,絵画にもなり,外国にまで伝わる一方,幕府の禁教策をよりいっそう強化させることにもなった。『大日本史料』第12編の 46に関係史料所収。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

げんな‐だいじゅんきょう〔ゲンワダイジユンケウ〕【元和大殉教】
元和8年(1622)長崎立山におけるキリシタン迫害事件。宣教師や信者ら55名が斬首・火刑に処された。

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世界大百科事典 第2版

げんなだいじゅんきょう【元和大殉教】
近世初期長崎で起こった大規模なキリシタン刑死事件。平山常陳事件が引金になり長崎牢と大村の鈴田牢に囚禁の宣教師とその宿主等のキリシタン55名が1622年9月10日(元和8年8月5日)処刑された事件で,火刑25名,他は斬首刑であった。司祭9名を含む21名の宣教師が一度に処刑され,イエズス会会計掛のスピノラやドミニコ会管区代理のモラレス等有力者がいたために影響が大きかった。【五野井 隆史】

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

元和大殉教
げんなだいじゅんきょう

1622年(元和8)長崎西坂で火刑、斬首(ざんしゅ)によりキリシタン55人が殉教した事件。元和期(1615~24)に入ると江戸幕府によるキリシタン弾圧は過酷になり、1620年(元和6)朱印船による宣教師の潜入がイギリス、オランダ両国により摘発され、翌々年の22年7月に船長平山常陳(じょうちん)、宣教師2人(アウグスチノ会士ズニガ、ドミニコ会士フローレス)の火刑および乗組員の打首によって落着したが、この平山常陳事件を契機にキリシタン大迫害が開始された。同年8月5日(陽暦9月10日)、長崎や大村の牢獄(ろうごく)につながれていたキリシタンが刑場に引き出され、25人が火刑に、30人が斬首された。処刑者は各会派の宣教師、指導的立場にあったキリシタン、宣教師に宿を貸した者などで、そのなかには80歳の老婦など女性や小児も含まれていた。その中心人物の一人であるイエズス会神父カルロ・スピノラは、1612年(慶長17)10月9日(陽暦11月8日)長崎で月食を観測し、長崎の経度を測定したことで著名。この大殉教は幕府のキリシタン弾圧の画期となり、各藩の徹底的な弾圧を促進し、一方、この知らせはマニラにおける殉教熱をあおり、以後宣教師の決死的潜入が続出した。なおこの殉教を描いた絵画が、ローマのイエズス会の聖堂に掲げられている。

[村井早苗]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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