@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

全ドイツ労働者協会【ぜんドイツろうどうしゃきょうかい】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

全ドイツ労働者協会
ぜんドイツろうどうしゃきょうかい
Allgemeiner Deutscher Arbeiterverein
1863年 F.ラサールが設立した労働組合団体で,いわゆるラサール派の中心組織。ドイツ各地の組合禁止令解除 (1860) により,ライプチヒで設立され,普通選挙実現による改良主義的議会闘争を経済闘争や非合法革命運動よりも重視。ラサールはビスマルクへ接近したが失敗。彼の死後機関紙『社会民主主義者』のドイツ労働者への影響はむしろ増大。 69年マルクス主義の立場をとるドイツ社会民主労働党の結成後は,これと対立したが,75年ゴータで両派が合同,ドイツ社会主義労働者党となり,協会は解消した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

ぜんどいつろうどうしゃきょうかい【全ドイツ労働者協会】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

日本大百科全書(ニッポニカ)

全ドイツ労働者協会
ぜんどいつろうどうしゃきょうかい
Allgemeiner Deutscher Arbeiterverein
1863年5月、進歩党からの自立を目標にライプツィヒで結成されたドイツの労働者の政治組織。ラッサールが「公開答状」で提案していた、国家の補助による生産協同組合の設立と普通選挙権の獲得を基本的な要求とした。ラッサールが会長に就任したが、64年彼が急死し、内紛が続いたあと、67年にJ・B・v・シュワイツァーが会長に就任した。しかし彼がラッサール主義を推し進めようとしたため、内部に反対派が形成され、反対派は69年、ベーベルらと結んでアイゼナハ派を結成した。以後、協会派はラッサール派とよばれ、アイゼナハ派と激しく対立したが、その影響力はなおアイゼナハ派をしのいでいた。両派は75年、ゴータ大会で合同し、ドイツ社会主義労働者党を結成した。[松 俊夫]
『メーリング著、足利末男他訳『ドイツ社会民主主義史 下』(1969・ミネルヴァ書房)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

全ドイツ労働者協会」の用語解説はコトバンクが提供しています。

全ドイツ労働者協会の関連情報

関連キーワード

グリュクスボー朝グリュックスボー朝マネ中島名左衛門売られた花嫁ゲティスバーグルナンウィグモアエルギン小松小太郎

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation