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八朔【ハッサク】

デジタル大辞泉

はっ‐さく【八×朔】
陰暦の八月朔日(ついたち)のこと。また、その日に行われる行事。農家ではその年の新穀を日ごろ世話になっている人に贈って祝った。町家でもこの風を受けて互いに贈り物をし、祝賀の意を表した。また、徳川家康がこの日江戸城入りをしたところから、武家の祝日となり、大名旗本などが白帷子(かたびら)で登城し、将軍家に祝辞を述べた。また、江戸吉原では、遊女たちが白無垢(しろむく)小袖を着て祝った。 秋》「―や町人ながら京留守居/太祇
ミカンの一品種。果実は表皮が滑らかでやや小形、甘味も多い。江戸末期に広島県因島で発見された。八朔柑(はっさくかん)。 春》「指こぞり―を剝けり専念に/波郷

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デジタル大辞泉プラス

八朔
和歌山県、広島県など西日本地方で生産される柑橘類果皮は黄色みを帯びたオレンジ色で硬い。甘みのほかに、独特の酸味苦味がある。江戸時代末に広島県の境内で偶然発見されたもので、旧暦の八月朔日(ついたち)になると食べられるようになることから、寺の住職が「八朔」と命名したと伝えられる。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

はっさく【八朔】
旧暦8月1日(朔日)のこと。重要な節日で,八朔節供,田実(たのみ)の節供などといわれ,稲の収穫を目前にしての豊作祈願予祝に関したこと,および各種の贈答(贈物)が行われる。八朔盆といって盆月の終了を意味する伝承もある。西日本各地にはタホメサクダノミなどと称して田に出て作柄を褒めてまわる予祝儀礼があるし,稲の初穂を神に献じる穂掛けの儀礼をする所が全国に点々とある。香川県など瀬戸内には馬節供といって新粉細工や張子の馬を男児誕生の家へ贈ったり,関東地方には生姜節供といってショウガを持たせて嫁に里帰りさせる所がある。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

八朔
はっさく

旧暦の8月1日の節日(せちにち)である。いまでは9月1日に行っている土地がある。この日を盆の終わりとして八朔盆とも称する。八朔の行事は東日本より西日本のほうが盛んである。この日は稲刈りにはまだ早いが、未熟の稲を神に供えている。この日を田の実の節供とか頼みの節供とかいって、北九州では、家の主人が田んぼへ行って作頼みをするという。また多くの土地で普段世話になっている人に贈答する風がある。四国の高松市では、シンコマといって男の子のために、米の粉で裸馬の形をつくり贈答する風がある。三重県北牟婁(きたむろ)郡紀北(きほく)町の養海院では、八朔には盆踊りと同様な八朔踊りを踊るという。八朔に搗(つ)く餅(もち)を苦(にが)餅といっている例があるが、これは、この日から昼寝をすることがなくなり、夜なべ仕事が始まるからである。熊本県では、ナスに足をつけて花馬というものをつくり、田の神が乗って帰られるといって、これを海や川に流す風習がある。

 なお、江戸時代には、徳川家康が1590年(天正18)8月1日に初めて江戸城に入ったところから、八朔の日は大名や旗本が白帷子(しろかたびら)を着て登城し、将軍に祝辞を述べる行事が行われていた。

[大藤時彦]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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動植物名よみかた辞典 普及版

八朔 (ハッサク)
学名:Citrus hassaku
植物。ミカン科の常緑低木,園芸植物

出典:日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」
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精選版 日本国語大辞典

はっ‐さく【八朔】
〘名〙 (「朔」はついたちの意)
① 陰暦八月一日。またこの日の行事。田実(たのむ)の節供ともいい、本来は収穫に先だつ穂掛(ほがけ)祭で、農家で、その年に取り入れした新しい稲などを、日ごろ恩顧を受けている主家や知人などに贈って祝った。のち、この風習が流行し、この日に上下貴賤それぞれ贈り物をし、祝賀と親和とを表わすようになった。朝廷では鎌倉時代後期から行なわれ、室町時代には幕府にも広まった。また、近世では、天正一八年(一五九〇)のこの日に、徳川家康が初めて江戸城にはいったところから、武士の祝日の一つとなった。大名・小名や直参の旗本などが白帷子(しろかたびら)を着て登城し、将軍家へ祝辞を申し述べる行事が行なわれていた。八朔の祝い。八朔の礼。《季・秋》
※看聞御記‐応永二五年(1418)八月一日「八朔風俗、千秋嘉兆、幸甚幸甚」
※浮世草子・西鶴置土産(1693)二「けふはいはふ八朔(ハッサク)なりと、手づから鱠にして」
② 江戸の遊里、吉原で行なわれた紋日(もんび)の一つ。陰暦八月一日には、遊里内の遊女たちは、全部そろって白無垢(しろむく)の小袖を着て、そのまま客席へ出たり、おいらん道中を行なったりした。この風習は、元祿年間(一六八八‐一七〇四)、遊女高橋が白無垢のまま病床から客席に出たところから生じたという。
※雑俳・柳多留‐初(1765)「急度して出る八朔は寒く見へ」
③ 陰暦八月一日の前後に吹く強い風。
④ ミカン科の常緑高木。広島県原産で、和歌山・広島・愛媛・徳島県などで栽培されている。果実は扁球形で適度な甘味と酸味があり、生食される。採果は一二~一月で、一~五月に出荷される。和名は八朔(陰暦八月一日)頃から食べられるところからとされるが、実際には、その頃では果実は小さく食用に適さない。はっさくかん。
※青果の市(1941)〈芝木好子〉「老人はハッサクの大箱を二箱、八重に註文した」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

八朔
はっさく
田の実の節供」のページをご覧ください

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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