●兵衛府【ひょうえふ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
兵衛府
ひょうえふ
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デジタル大辞泉
ひょうえ‐ふ〔ヒヤウヱ‐〕【兵▽衛府】
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つわもののとねり‐の‐つかさ〔つはもののとねり‐〕【兵=衛=府】
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世界大百科事典 第2版
ひょうえふ【兵衛府】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
兵衛府
ひょうえふ
五衛府の一つ。和名「つわもののとねりのつかさ」。左右兵衛府に分かれる。構成は、大宝令(たいほうりょう)下では、それぞれ、率(かみ)1、翼(すけ)1、大直(だいじょう)1、少直1、大志(だいさかん)1、少志1、医師1、兵衛数百。養老(ようろう)令では官名は他の3府と同じく督(かみ)、佐(すけ)、尉(じょう)、志(さかん)と記し、また兵衛数は各400と定められた。以後、808年(大同3)に兵衛は各300に削減、811年(弘仁2)にふたたび各400になった。728年(神亀5)に中衛府が設置されて、その職掌が重複していたのではないかと考えられ、急速に形骸(けいがい)化したとする見方もあるが、天平(てんぴょう)期(729~749)の平城宮出土の木簡(もっかん)に、宮門守衛の兵衛名が多量にみえることから、この二つの府のあり方はそれぞれ異なるものであったと考えられる。兵衛府の性格については、令制以前の親衛軍の遺制を強く継承しながら、農民兵士による衛士(えじ)制の成立により儀仗(ぎじょう)兵化したものではないかと考えられている。
[野田嶺志]
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精選版 日本国語大辞典
ひょうえ‐づかさ ヒャウヱ‥【兵衛府】
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ひょうえ‐ふ ヒャウヱ‥【兵衛府】
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旺文社日本史事典 三訂版
兵衛府
ひょうえふ
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