●内田魯庵【うちだ ろあん】
美術人名辞典
内田魯庵
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デジタル大辞泉
うちだ‐ろあん【内田魯庵】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
内田魯庵 うちだ-ろあん
慶応4年閏(うるう)4月5日生まれ。「女学雑誌」に文芸評論をかき,「くれの廿八日」「社会百面相」などの社会小説で注目される。のち丸善で「学燈」を編集。ドストエフスキー「罪と罰」などの翻訳や文壇回顧録「思ひ出す人々」でも知られる。昭和4年6月29日死去。62歳。江戸出身。東京専門学校(現早大)中退。本名は貢(みつぎ)。別号に不知庵。
【格言など】功名心(アンビシヨン)に酔ってる人は悪魔(サタン)ですもの(「くれの廿八日」)
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世界大百科事典 第2版
うちだろあん【内田魯庵】
明治期の文芸評論家,作家,翻訳家。江戸生れ。本名貢(みつぎ)。別号不知庵(ふちあん)。東京専門学校中退。1888年,〈山田美妙大人(うし)の小説〉で文壇に登場,J.アディソンを学んだ軽妙な風刺を得意としたが,翌年ドストエフスキーの《罪と罰》を読んで衝撃を受け,二葉亭四迷にも心服して,文学とは何かを正面から考えるようになった。以後,人生の真理を描く小説〈ノーベル〉をめざして硯友社系の遊戯文学を排する一方,外面的な〈大文学〉を唱える矢野竜渓(文雄)らをも批判した。
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大辞林 第三版
うちだろあん【内田魯庵】
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
内田魯庵
うちだろあん
[没]1929.6.29. 東京
評論家,小説家,翻訳家。本名,貢。別号,不知庵。立教学校,東京専門学校,大学予備門 (のちの第一高等学校) などで英語を学んだがいずれも中退。『山田美妙大人の小説』 (1888) を『女学雑誌』に発表して文芸評論家として出発,『国民新聞』『国民之友』にも寄稿して確固たる地歩を得,1901年「丸善」に入り同社発行『学鐙 (がくとう) 』に拠って評論活動を続け,『ブリタニカ百科事典』の輸入販売に尽力。硯友社以来の文壇の遊戯性,俗物性,無思想性を攻撃,写実主義の深化,社会性の拡大を求めて,観念小説,悲惨小説を擁護し,批評がジャンルとしての確立に向う端緒を開いた。ドストエフスキーの『罪と罰』,トルストイの『復活』をはじめアンデルセン,ポー,ディケンズ,ゾラ,デュマらの作品を翻訳。社会小説『くれの廿八日』 (98) ,文壇回顧録『思ひ出す人々』 (15,初刊『きのふけふ』) などがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
内田魯庵
うちだろあん
(1868―1929)
『『現代日本文学大系3 内田魯庵他集』(1970・筑摩書房)』
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精選版 日本国語大辞典
うちだ‐ろあん【内田魯庵】
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