●冒頓単于【ぼくとつぜんう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
冒頓単于
ぼくとつぜんう
Mao-dun Chan-yu; Mo-tu Ch`an-yü
[没]前174
匈奴第2代の単于 (在位前 209~174) 。父頭曼単于を殺して即位。東の東胡,西の月氏,北の丁零などを討ち,漢の高祖を平城に破り (前 200) ,漢室の女をめとり,歳貢を出させる和議を結び,中国に対する優勢を確立した。東トルキスタンのオアシスの諸都市を属領化してそこから徴税し,匈奴帝国を強大化した。
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉
ぼくとつ‐ぜんう【冒頓単于】
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
世界大百科事典 第2版
ぼくとつぜんう【冒頓単于 Mò dú Chán yú】
匈奴帝国の事実上の形成者。匈奴攣鞮(虚連題)氏の長,頭曼の子。冒頓の原音はモンゴル語のBoghdo(神聖なる)あるいはBaghadur(勇士)などの諸説がある。すでに父の時代,匈奴諸部族は攣鞮氏を中心に部族連合国家へと始動していたが,前209年冒頓は自分を廃そうとした父を殺して単于となり,東は興安嶺の東胡,西は甘粛祁連(きれん)山の月氏を討ち,南のオルドス,北のトルコ系の住地を制圧してモンゴリアを統一した。
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
日本大百科全書(ニッポニカ)
冒頓単于
ぼくとつぜんう
(?―前174)
匈奴(きょうど)国家の建設者(在位前209~前174)。父の頭曼(とうまん)を殺して単于の位につき、東モンゴリアの東胡(とうこ)、西北モンゴリアからタリム盆地に勢力をもっていた月氏(げっし)を撃破し、北方の丁零(ていれい)、エニセイ川上流域の堅昆(けんこん)(キルギス)などを征服して、アジア史上最初の遊牧国家を建てた。漢の高祖劉邦(りゅうほう)を平城(へいじょう)(山西省大同)付近で包囲したが、妻の言に従って囲みを解き、漢と和親条約を結んだ(前198)。ふたたび月氏を討ち、月氏の本拠をイリ川方面へ移動させ、その支配下にあった烏孫(うそん)やタリム盆地のオアシス都市国家を服属させた(前177または前176)。
[護 雅夫]
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
精選版 日本国語大辞典
ぼくとつ‐ぜんう【冒頓単于】
出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
旺文社世界史事典 三訂版
冒頓単于
ぼくとつぜんう
匈奴 (きようど) の単于(王)
前209年,父の頭曼 (とうまん) を殺して単于になり,東胡を討ち,月氏を追って全モンゴリアを統一した。続いて長城以南に侵入し,漢の高祖劉邦 (りゆうほう) を平城(現在の大同 (タートン) )に囲み,屈辱的な和を誓わせた。続いて西域諸国を服属させ,強大な遊牧国家を築いて東西交易を独占した。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「冒頓単于」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●冒頓単于の関連情報
関連キーワード
| わいせつ罪| 争点証拠整理手続| テルピネン| 公然わいせつ罪| 前田健太| ソ連侵攻とシベリア抑留| 名古屋城| タウンミーティング| 佐賀市の中心市街地|