●冷泉院【れいぜいいん】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
冷泉院
れいぜいいん
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デジタル大辞泉
れいぜい‐いん〔‐ヰン〕【冷泉院】


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世界大百科事典 第2版
れいぜいいん【冷泉院】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
冷泉院
れいぜいいん
嵯峨(さが)天皇が弘仁(こうにん)年間(810~824)に後院(ごいん)(天皇が譲位後の居所に予定した御所)として造営した当時の代表的な邸宅。初めは冷然院と書いた。平安京の大炊御門(おおいのみかど)南堀川西(京都市中京(なかぎょう)区)に2町四方の地を占め、寝殿などのほか池の東西に釣台(つりだい)があった。天皇の渡領(わたりりょう)(世襲財産)とされ、院の維持のために所領が付された。仁明(にんみょう)、文徳(もんとく)、陽成(ようぜい)、冷泉(れいぜい)、後冷泉などの天皇が後院、里内裏(さとだいり)とし、文徳天皇はここで没している。875年(貞観17)、949年(天暦3)と焼失したため、再興の際、「然」が「燃」に通じるとして、「泉」に改めた。その後も970年(天禄1)に火災にあい再興されたが、1055年(天喜3)に一条院造営のために建物が移されたために衰亡、敷地には小住宅などが建てられていった。
[吉田早苗]
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精選版 日本国語大辞典
れいぜい‐いん ‥ヰン【冷泉院】
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