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前原一誠【まえばら いっせい】

美術人名辞典

前原一誠
幕末・明治志士藩士。は士明・子明、通称は八十郎、に古心・黙生等。松下村塾学び長崎に遊学した。高杉晋作らと藩権力を掌握し、戊辰戦争では会津征討に参加した。参議・兵部大輔となる。明治9年(1876)政府改革を目指し萩の乱を起したが敗れ、歿する。43才。贈従四位。

出典:(株)思文閣

朝日新聞掲載「キーワード」

前原一誠
幕末の思想家吉田松陰の松下村塾に学び、長崎に遊学。明治政府では参議・兵部大輔に就いたが、政府内の見の対立などから下野神風連の乱熊本)、秋月の乱(福岡)に呼応して1876年、不平士族を率いて萩のを起こすが、鎮圧され処された。
(2019-01-10 朝日新聞 朝刊 山口・1地方)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

デジタル大辞泉

まえばら‐いっせい〔まへばら‐〕【前原一誠】
[1834~1876]幕末・明治初期の尊王攘夷志士政治家長州藩士。前名、佐世八十郎吉田松陰門人倒幕運動に参加。明治維新後、参議などを歴任したが明治政府の方針に不満を持ち辞職萩の乱を起こし、敗れて処刑された。

出典:小学館
監修:松村明
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

前原一誠 まえばら-いっせい
1834-1876 幕末-明治時代の武士,政治家。
天保(てんぽう)5年3月20日生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士。吉田松陰の松下村塾にまなび,高杉晋作らと尊攘(そんじょう)派として活躍。維新後,参議,兵部大輔(ひょうぶのたいふ)などをつとめたが,明治3年官を辞して帰郷。9年10月萩の乱をおこし,12月3日斬首(ざんしゅ)された。43歳。本姓は佐世。字(あざな)は子明。通称は八十郎。号は梅窓。変名に米原八十槌,原狷介など。
【格言など】これまではいかい御苦労からだどの(辞世)

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

まえばらいっせい【前原一誠】
1834‐76(天保5‐明治9)
明治初年の政治家。萩藩士。旧姓佐世,名は八十郎,のち彦太郎。梅窓と号す。一誠は諱(いみな)。吉田松陰に学び,戊辰戦争には参謀として北越に転戦する。1869年(明治2)政府参議となったがまもなく辞職し,兵部大輔に補せられたが兵制改革の方法で指導層と意合わず70年3月辞して帰郷。76年10月,王土王民制と士族禄制の回復を要求し,君側の奸臣を除くとして300人の同志と蜂起したが政府軍に鎮圧され,12月3日斬首に処せられた(萩の乱)。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

まえばらいっせい【前原一誠】
1834~1876 政治家。長州藩出身。前名、佐世八十郎。松下村塾に学び、討幕運動に参加。維新後、参議・兵部大輔などを歴任したが職を辞して帰郷、萩の乱を起こし刑死した。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

前原一誠
まえばらいっせい
[生]天保5(1834).3.20. 萩
[没]1876.12.3. 萩
幕末の長州藩士,明治政府初期の政治家。初め佐世姓。通称は八十郎,彦太郎。安政4 (1857) 年松下村塾に入って吉田松陰に師事。さらに長崎へ遊学し,同6年藩の西洋学所に学んだ。文久2 (62) 年2月久坂玄瑞らと脱藩して長井雅楽 (うた) 要撃策に参加。文久三年八月十八日の政変による三条実美ら七卿落の際御用掛となり,長州征伐には討幕派として活躍。戊辰戦争には北越軍参謀となった。明治2 (69) 年越後府判事,のち参議,兵部大輔となったが,同3年病と称して辞任し帰郷,佐賀の乱 (74) ,神風連の乱 (76) など不平士族の反乱の続発するなかで,1876年 10月士族を率いて挙兵 (→萩の乱 ) したが,敗れて処刑された。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

前原一誠
まえばらいっせい
(1834―1876)
幕末維新期の長州藩尊攘派(そんじょうは)志士、政治家。長州藩士佐世彦七(させひこしち)の長男。名は八十郎、のち彦太郎、字(あざな)は子明(しめい)、号は梅窓(ばいそう)。1857年(安政4)吉田松陰(よしだしょういん)の松下村塾(しょうかそんじゅく)の門に入り、のち長崎に遊学して洋学を学んだ。1862年(文久2)久坂玄瑞(くさかげんずい)らと脱藩、尊攘運動に走り、翌1863年帰国して七卿方(しちきょうがた)御用掛につく。1864年(元治1)末、高杉晋作(たかすぎしんさく)らの挙兵に応じて藩の保守派(俗論党と蔑称(べっしょう))の打倒に加わり、翌1865年(慶応1)これを制圧した。同年、前原姓を名のり諸隊の一つ干城隊(かんじょうたい)頭取役(とうどりやく)となる。戊辰戦争(ぼしんせんそう)では北越軍参謀について出兵、のち徴士、越後府(えちごふ)判事となった。1869年(明治2)参議、兵部大輔(ひょうぶたいふ)と昇進したが、翌1870年病のため辞して萩(はぎ)に帰った。1874年の佐賀の乱のとき初めは県令の請に応じて動揺する不平士族の説得にあたったが、1876年の熊本神風連(じんぷうれん)の乱に呼応して萩に挙兵、不平士族の指導者となった。乱は旬日を出ずして鎮圧され、島根県で捕らえられ、12月3日萩で斬首(ざんしゅ)された。[小林 茂]
『妻木忠太著『前原一誠伝』(1934・積文館) ▽小林茂著『長州藩明治維新史研究』(1968・未来社) ▽安藤紀一著、田村貞雄校注『前原一誠年譜』(2003・マツノ書店) ▽奈良本辰也著『評伝前原一誠――あゝ東方に道なきか』(徳間文庫)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

まえばら‐いっせい【前原一誠】
江戸末期・明治初期の政治家。前名、佐世八十郎。もと長州藩士。吉田松陰に学んで討幕運動に参加。維新後、参議・兵部大輔などを歴任したが、新政府と合わず、明治九年(一八七六)萩の乱の先頭に立ち、処刑された。天保五~明治九年(一八三四‐七六

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

前原一誠
まえばらいっせい
1834〜76
明治初期の政治家
長州藩出身。吉田松陰の松下村塾で学び,尊王攘夷運動に参加。明治新政府では,参議・兵部大輔を歴任したが木戸孝允らと意見が合わず1870年下野し帰郷。'76年萩の乱をおこし,敗れ処刑された。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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