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前田利家【まえだ としいえ】

美術人名辞典

前田利家
安土・桃山時代の武将金沢藩主前田家の尾張生。利昌の四男。名は犬千代・孫四郎。幼少より織田信長に仕えるが、のち豊臣秀吉に従う。越後守となり、のち五大老に列せられる。秀吉歿後は秀頼を補佐する。慶長4年(1599)歿、62才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

まえだ‐としいえ〔まへだとしいへ〕【前田利家】
[1538~1599]安土桃山時代の武将。加賀藩主前田氏の祖。尾張の人。幼名、犬千代。織田信長に従い、各地戦功をたてた。のち、豊臣秀吉に仕え、五大老の一人として、秀頼の後見を託された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

前田利家 まえだ-としいえ
1538-1599 戦国-織豊時代の武将。
天文(てんぶん)7年生まれ。前田利昌(としまさ)の4男。加賀金沢藩主前田家の祖。はじめ織田信長につかえる。天正(てんしょう)11年賤ケ岳(しずがたけ)の戦いで豊臣秀吉について加賀2郡をあたえられ,居城を七尾から金沢にうつした。慶長2年権大納言。秀吉治下では五大老のひとり。民政・理財の才もあり,茶の湯・和歌にも長じた。慶長4年閏(うるう)3月3日死去。62歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。幼名は犬千代。通称は孫四郎,又左衛門尉。
【格言など】武道ばかりを本とする事あるまじく候(子の利長にのこした訓戒)

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

まえだとしいえ【前田利家】
1537‐99(天文6‐慶長4)
安土桃山時代の武将。加賀藩始祖。犬千代,孫四郎,又左衛門尉,筑前守,加賀大納言と称する。尾張愛知郡荒子に生まれ織田信長に近侍し,1551年(天文20)以来諸征服戦に従軍,59年(永禄2)信長の勘気を受けて蟄居(ちつきよ)したが69年許されて家督を継いだ。赤母衣衆となり,75年(天正3)越前平定後武主(ものぬし)柴田勝家のもとで佐々成政,不破光治と府中三人衆として施政に当たり,81年能登に転封,翌年本能寺の変の後,越中の前線から撤退して石動山天平寺の僧徒や温井,三宅等の反乱を討伐し,翌年賤ヶ岳の戦に従軍したが豊臣秀吉に下った。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

まえだとしいえ【前田利家】
1538~1599 安土桃山時代の武将。加賀藩の祖。尾張の人。幼名、犬千代。幼少より織田信長に仕える。賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家についたが、のち豊臣秀吉と和を結び、金沢に封ぜられた。五大老の一人として秀頼を補佐したが、秀吉没後一年にして死んだ。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

前田利家
まえだとしいえ
[生]天文7(1538).尾張
[没]慶長4(1599).閏3.3. 大坂
安土桃山時代の武将。加賀藩前田家の祖。利昌の子。幼名は犬千代,幼少から織田信長に仕え,永禄 12 (1569) 年信長の命で兄利久に代って前田家を継いだ。元亀1 (70) 年の朝倉征伐,さらに姉川の合戦,長篠の戦いなどに従軍して功をあげた。信長亡きあと,柴田勝家と豊臣秀吉が天正 11 (83) 年賤ヶ岳で戦った際,利家は当初勝家についていたが,裏切って秀吉に従った。同 13年秀吉が越中で佐々成政を倒してからは越中の3郡を与えられ,その信任は厚かった。同 18年参議となり徳川家康,上杉景勝らと五大老の一人として,また秀吉没後は秀頼の後見として徳川氏との調整にあたった。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

前田利家
まえだとしいえ
(1538―1599)
安土(あづち)桃山時代の武将、加賀藩初代藩主。従(じゅ)二位、権大納言(ごんだいなごん)。尾張(おわり)国(愛知県)荒子城主前田利春(としはる)の次男。幼名犬千代。1551年(天文20)織田信長に仕え、元服して孫四郎、のち又左衛門(またざえもん)と改めた。青年のころは血気盛んで武勇を誇り、「槍(やり)の又左衛門」と異名をとった。そのため信長の怒りに触れ、放禄(ほうろく)されたこともあるが、美濃(みの)の斎藤征伐、桶狭間(おけはざま)、姉川(あねがわ)、長篠(ながしの)など、信長の主要な戦争に従軍して功をあげ、2450貫の荒子城主から近江(おうみ)国(滋賀県)長浜、越前(えちぜん)国(福井県)府中に進出、さらに81年(天正9)には能登(のと)国(石川県)七尾(ななお)城主となり、能登一国23万石余を領有した。その翌年、本能寺の変で信長が急死し、羽柴(はしば)秀吉と柴田勝家(しばたかついえ)との抗戦となるや、巧みに対処して秀吉につき、柴田氏の滅亡後、加賀国2郡を加増されて尾山城(金沢市)に移った。84年小牧の役には、徳川家康に応じて越中(えっちゅう)国(富山県)から進寇(しんこう)した佐々成政(さっさなりまさ)を末守城で破り、越中4郡のうち3郡を加増された。90年(天正18)の小田原征伐に参戦、奥羽検地に参与し、文禄(ぶんろく)の役には肥前国(佐賀県)名護屋(なごや)に在陣した。のち五大老の一人として秀頼(ひでより)の哺育(ほいく)に任じたが、98年(慶長3)秀吉の病死後、台頭する家康と反家康派の間にあって両者の協調に努めた。しかし翌年閏(うるう)3月3日病死。晩年は老練、温厚で人望厚く、領内では優れた治績を残し、加賀藩の基礎をつくった。[若林喜三郎]
『岩沢愿彦著『前田利家』(1966・吉川弘文館)』

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367日誕生日大事典

前田利家 (まえだとしいえ)
生年月日:1538年12月25日
安土桃山時代の大名
1599年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

まえだ‐としいえ【前田利家】
安土桃山時代の武将。加賀藩前田家の祖。幼名犬千代、のち羽柴筑前守・加賀大納言などと称した。初め信長に従って桶狭間の戦いなどに武功を挙げた。賤ケ岳の戦いでは柴田勝家側から秀吉側に転じ、戦後、金沢城に拠り、北陸を平定。五大老の一人となり秀吉の死後は秀頼を補佐。天文七~慶長四年(一五三八‐九九

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旺文社日本史事典 三訂版

前田利家
まえだとしいえ
1538〜99
安土桃山時代の武将。加賀(石川県)藩主前田家の祖
幼名犬千代,のち孫四郎・又左衛門 (またざえもん) と称した。尾張(愛知県)の人。織田信長に仕え,桶狭間 (おけはざま) ・姉川・長篠の戦いなどに功をたて,1583年賤ケ岳 (しずがたけ) の戦い後,豊臣秀吉に仕え,加賀の尾山城金沢城)に移った。五大老の一人として,秀吉の死後秀頼の守り役となり,徳川家康と並び大事を決した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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