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前田氏【まえだうじ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

前田氏
まえだうじ
金沢藩主。菅原氏あるいは平氏源氏の出ともいわれるが詳細不明。室町時代中期以降,尾張国海東郡前田を本拠として勢力をもつ土豪であった。戦国時代には織田氏に属し,利家のとき織田信長に仕え,桶狭間の戦いに勲功をあげ,以来重用されて,近江長浜1万石に封じられ,さらに越前府中3万 3000石を領した。本能寺の変後は豊臣秀吉に従い,加賀さらに越中の一部を加え,利長のとき 83万 5000石となった。関ヶ原の戦いでは徳川方に属し,戦後は 120万石余を領する最大の大名となり,以来明治にいたり侯爵分家の越中富山の前田氏は伯爵,加賀大聖寺・上野七日市前田氏は子爵

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世界大百科事典 第2版

まえだうじ【前田氏】
江戸時代の外様大名(図)。加賀藩主。加賀国金沢城に住し,加賀,能登越中国等にわたる領地を有した。定姓はなく,1586年(天正14)に平氏と見え,初代利家,2代利長は豊臣秀吉から羽柴称号,豊臣姓を許された。1605年(慶長10)に徳川氏から与えられた松平の称号を代々称したが,41年(寛永18)に幕府が諸家譜を徴したとき,利家以来の伝説によって菅原姓を自称した。家紋は剣梅鉢。前田姓は美濃国安八郡前田に住したことによるといい,尾張国愛知郡荒子に移って,利家の父利春(利昌)のとき2000貫の地を領していた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

前田氏
まえだうじ
江戸時代、加賀(石川県)、能登(のと)(石川県)、越中(えっちゅう)(富山県)3か国で102万5000石を領した大大名。美濃国(みののくに)(岐阜県)斎藤氏の庶流で、前田の姓は同国前田村に住したところから生じたらしい。利春(としはる)(利昌(としまさ))のとき尾張国(おわりのくに)(愛知県)荒子城に住し、2000貫の地を領した。微々たる戦国武将であったが、1551年(天文20)その子利家(としいえ)が織田信長に仕えてから家運を開き、織田、豊臣(とよとみ)、徳川と天下統一が継承される間に巧みに対処して、3か国における領主権を確保した。利家以下歴代加賀藩主を相受けて廃藩に至る。2代利長(としなが)の慶長(けいちょう)期(1596~1615)には120万石を領したが、3代利常(としつね)隠居の際、次子利次(としつぐ)に富山藩10万石、三子利治(としはる)に大聖寺(だいしょうじ)藩7万石を分けた。[若林喜三郎]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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旺文社日本史事典 三訂版

前田氏
まえだし
江戸時代の加賀藩主
尾張出身の利家が織田信長・豊臣秀吉に仕え,賤ケ岳 (しずがたけ) の戦い(1583)後金沢居城を築いた。江戸時代には越中・能登・加賀102万石を領し,最大の外様大名であったが,松平姓を賜り幕府と親しい関係を結んだ。元禄時代に名君綱紀を出し,後期には11代将軍徳川家斉の息女溶姫を正室に迎えるため建てた赤門(現在,東京都文京区本郷の東大にある門)などで有名。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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