●前田河広一郎【まえだこう ひろいちろう】
美術人名辞典
前田河広一郎
出典:(株)思文閣
デジタル大辞泉
まえだこう‐ひろいちろう〔まへだかうひろイチラウ〕【前田河広一郎】
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル版 日本人名大辞典+Plus
前田河広一郎 まえだこう-ひろいちろう
明治21年11月13日生まれ。徳冨蘆花(ろか)に師事し,その援助で明治40年渡米。大正10年「三等船客」を発表し,のち「種蒔(ま)く人」「文芸戦線」の同人となり,初期プロレタリア作家として活躍。昭和32年12月4日死去。69歳。宮城県出身。著作に「十年間」「蘆花伝」など。
出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。
世界大百科事典 第2版
まいだこひろいちろう【前田河広一郎】
小説家。宮城県生れ。県立一中を中退し,1905年上京。徳冨蘆花の紹介で石川三四郎の新紀元社に入社。07年に蘆花の後援で渡米,シカゴで皿洗い,ボーイ,外交員,庭師など数種の職業に従う。在米中社会主義者金子喜一を識り,その妻の主宰する雑誌に英文で小説を発表。20年帰国。雑誌《中外》の編集長となり,21年同誌に短編小説《三等船客》を発表し初期プロレタリア文学の作家として注目された。以後《種蒔く人》の同人となり,さらに《文芸戦線》の中心的な一人として活動し,在米日本人の移民生活を好んで素材として小説を書く。
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
まえだこうひろいちろう【前田河広一郎】
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
前田河広一郎
まえだこうひろいちろう
[没]1957.12.4. 東京
小説家。中学校を中退,1905年上京して徳冨蘆花に師事。1907年アメリカ合衆国に渡り,労働生活を送りながら,合間に小説や評論を書いた。1920年に帰国。雑誌『中外』の編集に携わり,同誌に初期プロレタリア文学の傑作『三等船客』(1921)を発表,文壇で反響を呼んだ。1923年に文芸雑誌『種蒔く人』の同人となり,以後『赤い馬車』(1923),『麺麭(パン)』(1923)を発表。翌 1924年『文芸戦線』同人となり,評論を書く一方で長編『大暴風雨時代』(1924)を発表,初期プロレタリア文学の代表作家となった。ほかに,評論集『十年間』(1930),伝記文学『蘆花伝』(1938)などがある。
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
精選版 日本国語大辞典
まえだこう‐ひろいちろう【前田河広一郎】
出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「前田河広一郎」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●前田河広一郎の関連情報