@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

加曽利貝塚【カソリカイヅカ】

デジタル大辞泉

かそり‐かいづか〔‐かひづか〕【加曽利貝塚】
千葉市にある縄文時代中・後期の大貝塚(径約130メートル)・(径約170メートル)の二つの環状貝塚からなる。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

国指定史跡ガイド

かそりかいづか【加曽利貝塚】

千葉県千葉市若葉区桜木の坂月川右岸にある縄文時代の貝塚遺跡。全国に2000余りある縄文時代の貝塚の中では最大で、世界的にも最大規模の貝塚とされる。南北2つの貝塚からなり、標式遺跡として知られる。加曽利北貝塚は縄文中期(約5000~4000年前)のもので、初期の小規模貝塚の上に1000年かけて直径130mもの貝塚が造られた。加曽利南貝塚は縄文後期(約4000~3000年前)のもので、約1000年かけて長径約170mの馬蹄(ばてい)形の貝塚が造られ、2つの貝塚が8の字に連結している。貝塚からはアサリやハマグリ、カキ、イボキサゴなどの貝やクロダイやスズキなどの魚骨、クリやクルミ、クヌギなどの木の実、イノシシやシカの骨や角でつくられた釣り針などが出土し、外縁には竪穴(たてあな)式住居跡がみられる。1971年(昭和46)に北貝塚が国史跡に指定され、1977年(昭和52)に南貝塚が追加され、1986年(昭和61)に追加指定が行われた。付近は加曽利貝塚公園として整備され、加曽利貝塚博物館には、発掘された縄文土器・石器・動物や魚骨・人骨などが展示され、縄文時代のムラの生活の様子がわかりやすく解説されている。千葉都市モノレール桜木駅から徒歩約15分。

出典:講談社
(C)Kodansha 2013.
この内容は執筆時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

日本大百科全書(ニッポニカ)

加曽利貝塚
かそりかいづか

千葉市若葉区桜木町(旧字(あざ)加曽利)に所在する縄文時代前期から晩期の集落遺跡。都川(みやこがわ)支流の古山川の谷に臨む洪積台地上に長径160メートルの北貝塚と、長径185メートルの南貝塚が接し、全長345メートルに達する「8」字形の珍しい形状は、日本最大級の規模を有する貝塚として知られている。1924年(大正13)の東京帝国大学人類学教室によるB、E地点の層位的発掘により、中期の加曽利E式土器、後期の加曽利B式土器として分類することが提唱され、名実ともに日本の代表的貝塚となった。北貝塚は中期の貝層が、南貝塚は後期の貝層が発達しており、大量の貝殻投棄の場を北から南へ移動している。しかし、中期の住居址(し)は、北貝塚のみならず、南貝塚やその南東方にも散在し、他方、後期の住居址は、南貝塚のみならず、その東方や北貝塚にも散在し、広い展開をみせている。しかも、南貝塚南東方の中期住居群では、約半数が覆土に貝層を伴っていた。この小貝塚と大貝塚の併存は、馬蹄形(ばていけい)貝塚の特異な性格を物語り、干し貝加工場であったという説を生む。早期末の炉穴4基、また前期2、中期73、後期34、晩期1の合計110軒の住居址、中期14、後期35、晩期4の合計53体の人骨、家犬6頭の骨が発見されている。1971年(昭和46)に北貝塚、1977年に南貝塚が国の史跡に指定された。

[堀越正行]

 なお2017年(平成29)、住居址を含む貝塚全体が特別史跡に指定された。貝塚としては初めて、縄文時代の集落遺跡としては三内丸山(さんないまるやま)遺跡(青森県)、大湯(おおゆ)環状列石(秋田県)、尖石(とがりいし)石器時代遺跡(長野県)に次いで4件目である。

[編集部 2019年9月17日]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

加曽利貝塚」の用語解説はコトバンクが提供しています。

加曽利貝塚の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation