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加賀騒動【かがそうどう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

加賀騒動
かがそうどう
江戸時代中期,加賀藩 (→金沢藩 ) に起った御家騒動。第6代藩主前田吉徳が財政の改革に起用した下級藩士大槻伝蔵は藩財政の実権を握ると,家老前田直躬 (なおみ) ら一派と対立した。吉徳の側室真如院大槻一派と結び,わが子利和を世嗣にしようとしたが,延享2 (1745) 年に吉徳が変すると宗辰 (むねとき) が藩主となった。宗辰は大槻を排斥し,同年 12月急死した。同4年その弟重ひろ (しげひろ) が跡を継ぐと,大槻は宗辰毒殺の嫌疑を受け越中五箇山に閉され寛延1 (48) 年9月配所で自殺した。真如院も大槻との通の事実が明るみに出て密殺され,宝暦4 (54) 年閏2月,大槻の親族,家来五十余名も処罰されて事件は落着した。これはいろいろ潤色されて歌舞伎,講談,小説などの題材となった。

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デジタル大辞泉

かが‐そうどう〔‐サウドウ〕【加賀騒動】
江戸中期、加賀藩主前田吉徳(まえだよしのり)の死後に起こったお家騒動。家老前田直躬(まえだなおみ)と、財政改革のために登用された大槻伝蔵(おおつきでんぞう)との対立に加え、吉徳の側室真如院がからんで抗争が続き、主家横領を企てたとして伝蔵は配所で自殺、真如院は殺され、関係者すべてが処刑された。小説・浄瑠璃・講談などに脚色されている。

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世界大百科事典 第2版

かがそうどう【加賀騒動】
18世紀中期に加賀藩で起こった御家騒動。一名大槻騒動。その内容は,6代藩主前田吉徳の寵臣大槻伝蔵門閥守旧派に弾劾されて失脚し,流刑地で自刃した事件,および江戸藩邸での茶釜毒入り事件に関連して吉徳の側室真如院(お貞の方)とその男子らが幽閉されて死んだ事件がからめられたもの。大槻伝蔵は足軽の子に生まれ,御居間方坊主から禄高3800石の人持組という上級家臣にまでなった出頭人で,終始吉徳に近侍して寵愛と信頼が深かった。

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大辞林 第三版

かがそうどう【加賀騒動】
一八世紀中頃、加賀藩に起こった御家騒動。六代藩主前田吉徳に登用された大槻伝蔵ら改革派と家老前田直躬なおみら門閥重臣との対立に端を発し、吉徳の死後七代宗辰の急死、江戸上屋敷における毒物投入事件などが、吉徳の側室真如院と大槻らの家督相続にからむ陰謀とされ、大槻一派は死に追いやられた。読み物・演劇・講談などで広く流布。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

加賀騒動
かがそうどう
江戸中期、加賀藩で起こった御家(おいえ)騒動。『見語大鵬撰(げんごたいほうせん)』をはじめとする通俗史では、6代藩主前田吉徳(よしのり)の寵臣(ちょうしん)大槻内蔵允(おおつきくらのじょう)(伝蔵)が、吉徳の愛妾(あいしょう)お貞の方(真如院(しんにょいん))と密通し、お貞の産んだ利和(としかず)を藩主とするために、吉徳および7代藩主宗辰(むねとき)を暗殺したということになっている。そこで、重臣前田土佐守直躬(とさのかみなおみ)らが中心となって、8代藩主重煕(しげひろ)の毒殺未遂事件を機に、大槻ら逆臣グループを捕らえ、処刑して大団円ということになっている。
 しかし、これらには虚説が多く、実際は江戸中期以後の、いわゆる転換期において、諸藩内部に多くみられた、保守派の重臣と進歩派の下層武士との対立に真の原因があった。高度成長の元禄(げんろく)期(1688~1704)を過ぎた加賀藩では、財政難打開に躍起となった吉徳が、茶坊主あがりの大槻を重用し、経費の節減や上方(かみがた)での金融に独自の腕を振るわせるために、彼に異例の出世をさせたところから、重臣の前田直躬らはひどく大槻を憎み、1745年(延享2)吉徳の急死後、たちまちこれを失脚させたものである。真如院の一件も、隠微な大奥の女たちの争いがこれに絡みついたもので、両者にはこれという罪状もつかめないところから、直躬らが両者の密通・密謀をでっち上げたのではないかという疑いが強い。
 大槻は、1748年(寛延1)越中(えっちゅう)五箇山(ごかやま)に流され、同年配所で自殺したが、これをはじめ54年(宝暦4)までに関係者が処刑されて一件落着となったわけである。しかし、なにしろ、当時は御家騒動など事実に取材した通俗史(実録体小説)が大流行の時代であったし、本件などは100万石の大舞台を背景に、才子・美女の登場、そこへ重煕毒殺未遂事件の容疑者、奥女中の浅尾(あさお)の蛇責めなど、猟奇的なおまけまでついているので、大いに有名となり、伊達(だて)、黒田とともに「三大騒動」の一つとして喧伝(けんでん)されたものである。[若林喜三郎]
『三田村鳶魚著『加賀騒動実記』(1958・青蛙房) ▽若林喜三郎著『加賀騒動』(中公新書) ▽『三田村鳶魚全集 第5巻』(1976・中央公論社)』

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精選版 日本国語大辞典

かが‐そうどう ‥サウドウ【加賀騒動】
江戸中期、加賀藩前田家で起こったお家騒動。大槻伝蔵(朝元)の異例の出世と財政政策を喜ばない家老の前田直躬(なおみ)などが、藩主前田吉徳の死後、伝蔵と吉徳の側室お貞(真如院)たちがお貞の子を後継者として主家の横領を企てたとして訴えを起こし、伝蔵は配所で自殺、お貞は暗殺され、伝蔵の関係者はすべて処刑された事件。事実関係には不明な点が多い。浄瑠璃、小説、講談などに脚色された。

出典:精選版 日本国語大辞典
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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典

加賀騒動
かがそうどう
歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
明治28.8(横浜・千歳座)

出典:日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」
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加賀騒動
(通称)
かがそうどう
歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
御国名物花菅笠 など
初演
寛政9.3(江戸・都座)

出典:日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」
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旺文社日本史事典 三訂版

加賀騒動
かがそうどう
江戸中期,加賀藩におこった御家騒動
6代藩主前田吉徳 (よしのり) の大槻伝蔵登用に対し,家老前田直躬 (なおみ) らの保守派が反対して対立,それに吉徳の側室真如院の子を継嗣に擁立しようとする大槻一派の陰謀がからんだ騒動。1754年事件は大槻派の断罪で落着した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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