●勧学院【かんがくいん】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
勧学院
かんがくいん
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デジタル大辞泉
かんがく‐いん〔クワンガクヰン〕【勧学院】


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世界大百科事典 第2版
かんがくいん【勧学院】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
勧学院
かんがくいん
平安時代、藤原氏のための大学別曹(べっそう)。藤原冬嗣(ふゆつぐ)が821年(弘仁12)大学寮の南方、弘文(こうぶん)院の南、左京三条一坊に創設。南曹とも氏院(うじのいん)ともいわれた。藤原氏出身の学生(がくしょう)を寄宿させ、学資を与え、学問を励ますためのもので、学生は曹司(ぞうし)に起居して、大学に学び、課試を受けた。当初、冬嗣が食封(じきふ)1000戸を寄付して維持費にあて、その後、藤原氏出身の大臣らが食封を寄進したりしたが、寄進荘園(しょうえん)をその財源とすることになる。大学寮の管轄を受けず、藤原氏の氏長者(うじのちょうじゃ)が所管した。別当、学頭、知院事(ちいんじ)、案主(あんじゅ)などの職員があり、別当が学生の出世に尽力したので、学生には有利な条件が多くあった。のちに藤原氏の氏寺、氏社の事務をも取り扱うようになり、氏長者の事務を行う政所(まんどころ)も置かれるようになる。藤原氏の政治勢力によって、諸氏大学別曹のなかでもっとも栄えたが、鎌倉時代には衰えた。しかし、機構は室町時代まで続いた。
[大塚徳郎]
『桃裕行著『上代学制の研究』(1947・目黒書店)』
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精選版 日本国語大辞典
かんがく‐いん クヮンガクヰン【勧学院】
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旺文社日本史事典 三訂版
勧学院
かんがくいん
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