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匈奴【きょうど】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

匈奴
きょうど
Xiong-nu; Hsiung-nu
中国の時代にモンゴル高原で活躍した遊牧騎馬民族。人種についてはチュルク系,モンゴル系などの説があり,定説はない。前3世紀の末に冒頓単于 (ぼくとつぜんう) が諸部族を統一して建てた,北アジアで最初の遊牧国家。その最盛期には,漢もこれと和親政策をとらざるをえなかったが,武帝のたびたびの征討を受けて衰え,48年には内紛のため南北分裂。このうち北匈奴は後漢の軍に討たれて瓦解し (91) ,西走してヨーロッパのフンになったといわれ,南匈奴は中国の北辺に移住定着。ノイン・ウラ遺跡で発見されたその貴族墳墓は,紀元前後頃における匈奴の文化を示している。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

きょうど【×匈奴】
前3世紀末から後1世紀末にかけて、モンゴル高原を中心に活躍した遊牧騎馬民族。代末の前209年、冒頓(ぼくとつ)単于(ぜんう)(君主)となり、北アジア最初の遊牧国家を建設。東胡(とうこ)大月氏を征圧し全盛となり、にも侵入したが、漢の武帝遠征と内紛により、東西に分裂し、後48年さらに南北に分裂。南匈奴は漢に服属し、北匈奴は91年漢に討たれた。人種的にはトルコ系説が有力。西方に移動した子孫フン族であるといわれる。

出典:小学館
監修:松村明
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世界大百科事典 第2版

きょうど【匈奴 Xiōng nú】
前3世紀末より約5世紀間にわたってモンゴリアに繁栄した遊牧騎馬民族。周の記録に見える遊牧民族獫狁(けんいん)の子孫であろうといわれているが,確証はない。しかし匈奴はすでに中国の戦国時代には,オルドスを根拠地として盛んに,趙,秦の北境を侵していた。スキタイに発生した騎馬戦法を東アジアにもちこんだのは彼らで,従来馬にひかす戦車歩兵とによる車戦,歩戦をもっぱらにしていた中国人は,彼らより騎馬戦の技法を学んだのである。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

匈奴
きょうど

紀元前3世紀末から紀元後1世紀末まで、モンゴル高原、万里の長城地帯を中心に活躍した遊牧騎馬民族、およびそれが形成した国家の名称。周代に中国の北辺を脅かした玁狁(けんいん)や葷粥(くんいく)らの後裔(こうえい)であるといわれるが確証はない。

[護 雅夫]

匈奴遊牧国家の誕生

秦(しん)の始皇帝が中国を統一(前221)したころ、匈奴の攣鞮(れんてい)(虚連題(きょれんだい))氏族の族長頭曼(とうまん)(Tümän万人長?)は、モンゴル高原の諸族の連合にいちおう成功したが、その子冒頓(ぼくとつ)は、父を殺して自ら単于(ぜんう)と号した。単于とは、北アジアの遊牧国家の君主が、ハガン(可汗)と称する以前に用いていた称号である。冒頓は、南満州の東胡(とうこ)、北方の丁零(ていれい)、エニセイ川上流のキルギスを征服、西方の月氏(げっし)を撃破して、北アジア最初の遊牧国家を建て、ついで、山西省北部に侵入した。漢の高祖劉邦(りゅうほう)は、北進してこれを迎え撃ったが、大同付近で包囲され、かろうじて脱出したのち、漢の皇室の娘(公主)を単于の妻とし、毎年多くの絹織物、酒、米などを匈奴に贈ることを条件に和議を結んだ(前198)。そののち、匈奴は、烏孫(うそん)や東トルキスタンのオアシス諸国を支配下に入れ、この結果、匈奴の支配圏は、東は熱河から西は東トルキスタンに、北はエニセイ川上流から南はオルドスに及んだ。匈奴のおもな経済的基地は東トルキスタンに、軍需基地は内モンゴル、オルドスにあって、前者からはその物産、交通・通商保護税を納めさせ、後者ではスキト・シベリア系の青銅器とくに武器類(いわゆる綏遠(すいえん)青銅器またはオルドス青銅器)を製作した。

[護 雅夫]

分裂と衰退

こうして、匈奴は全盛期を迎えたが、漢の武帝(在位前141~前87)は、匈奴に対してしばしば遠征軍を送るとともに、これを東西から挟撃しようとして、張騫(ちょうけん)を月氏に派遣した(前139~前126)。この武帝の積極政策のため、匈奴は外モンゴルに逃れ、東トルキスタンは漢の勢力下に入り、また、丁零、鮮卑(せんぴ)などの隷属諸族が独立した。そのうえ、匈奴では内紛が起こって数人の単于が並び立ち、ついで、郅支(しっし)単于(西匈奴)とその弟の呼韓邪(こかんや)単于(東匈奴)とが対立した(前54)。呼韓邪は漢に降(くだ)ってその援助を受けたので、郅支は西走してキルギス草原に移ったが、漢の遠征軍に敗れ、殺された(前36)。こののち、匈奴は、呼韓邪のもとに復興し、漢との関係も、呼韓邪が王昭君(おうしょうくん)を降嫁されるなど、一時小康を得た。しかし、ふたたび内紛が起こって、2代目の呼韓邪単于が後漢(ごかん)に降り、ここに呼韓邪の率いる南匈奴と北匈奴とに分裂した(後48)。南匈奴は甘粛(かんしゅく)、陝西(せんせい)、山西などに分住し、中国北辺、西北辺の防衛にあたったが、西晋(せいしん)の内紛に乗じて反乱を起こし、五胡(ごこ)十六国のうち、漢(前趙(しょう))、北涼(ほくりょう)、夏(か)を建て、しだいに中国化していった。北匈奴は、ときに中国に侵入することもあったが、鮮卑の攻撃を受けて単于が殺され、後漢・南匈奴連合軍がその本拠をつくに及んで大敗し(後91)、この結果、モンゴル高原における匈奴の国家は瓦解(がかい)した。この匈奴の残党は、そののち、モンゴル高原に建てられた鮮卑、さらに柔然(じゅうぜん)の国家に服属した。

[護 雅夫]

匈奴とフン

モンゴル高原を中心にして、秦(しん)、漢を脅かした匈奴の子孫が、ヨーロッパの民族大移動を引き起こす機縁となったフンであるといわれている。この問題は、初めて学界に提出されてからほぼ200年になるが、まだ解決されていない。しかし、匈奴の、おそらくは支配層の西方移動とフンの西方移動とがまったく無関係ではないこと、またフンという名前が匈奴に由来していることだけは確かである。

 匈奴の人種については、トルコ系、モンゴル系、アーリア系など、多くの説があるが、トルコ系説が有力である。最近、匈奴はエニセイ川流域に拠(よ)っていた古代民族と人種的関連をもつという説が出されたが、これも確かとはいえない。国家形態は、攣鞮、呼衍(こえん)、須卜(すぼく)、蘭(らん)、丘林(きゅうりん)などの氏族からなる匈奴部族を支配層とする部族連合体で、単于の位は攣鞮氏族に世襲され、閼氏(あつし)とよばれた皇后は、原則として他の4氏族から出た。国家を構成する諸部族の族長は、1年に春と秋と正月の3回、単于の本拠に集まって、シャーマニズムの祭儀を行うとともに、国事を議した。粗放な遊牧と狩猟とを行い、ヒツジ、ウマなどの家畜を放牧して、夏営地と冬営地との間を移動し、天幕式の円形家屋に住んだ。

 エニセイ川上流のミヌシンスク盆地で発掘された漢式宮殿は、匈奴に降った漢の将軍李陵(りりょう)のものであるといわれているが明らかではない。また、コズロフ一行がノイン・ウラで発掘した匈奴の貴族の墳墓は紀元前後のものであるが、そこから、スキト・シベリア系の文物のほかに、絹織物、漆器、玉器などの中国製品、イラン系の動植物文様や人物像を刺しゅうした毛織物などが出土し、匈奴の支配層に対する中国、西方文化の影響がみられる。

[護 雅夫]

『護雅夫著『北アジア・古代遊牧国家の構造』(『岩波講座 世界歴史6』所収・1971・岩波書店)』

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精選版 日本国語大辞典

きょうど【匈奴】
〘名〙
① 中国古代、北方の遊牧民族。紀元前三世紀から紀元後五世紀にかけて活躍。首長を単于(ぜんう)と称し、冒頓(ぼくとつ)単于(紀元前二世紀頃)以下二代が全盛時で、漢民族をおびやかし、後漢の頃南北に分裂した。種族については諸説あって定まらない。また、西進した匈奴をフン族とする説もあるが不明。
※松井本太平記(14C後)一八「誓って(ケウド)を掃(はらっ)て身を顧みず」 〔史記‐匈奴伝〕
② 転じて、陸奥国の仙台藩主(仙台侯)のあだ名。奥羽地方は古くから未開で野蛮な地とされていたので、その地の雄藩である仙台藩主になぞらえていったもの。
※雑俳・柳筥(1783‐86)二「奴をばとうとう嫌ひ高尾死に」

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フンヌ【匈奴】
〘名〙 (古代の中国語から) ⇒きょうど(匈奴)

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旺文社世界史事典 三訂版

匈奴
きょうど
前4世紀末から後1世紀ごろまでモンゴルで活躍した遊牧騎馬民族
その人種はトルコ系・モンゴル系など諸説ある。前4世紀末から中国を脅かし,前3世紀末に頭曼 (とうまん) ,ついでその子冒頓単于 (ぼくとつぜんう) が部族統合に成功し,東は熱河,西は東トルキスタン,南はオルドスにわたる大帝国を建設して秦・漢を圧した。漢は初め和親政策をとり,武帝のとき攻勢に転じたが,前1世紀半ばに内紛のため東・西匈奴に分裂し,東匈奴は漢に親しんだ。1世紀半ばにはさらに南北に分裂,この北匈奴がヨーロッパに侵入したフン族となったのではないかという説が有力である。南匈奴は4世紀永嘉の乱によって西晋を滅ぼし,五のひとつとして,五胡十六国時代をむかえることとなった。ノイン−ウラの匈奴貴族の墓は,その文化を明らかにした。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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