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北アイルランド公民権運動【きたあいるらんどこうみんけんうんどう】

日本大百科全書(ニッポニカ)

北アイルランド公民権運動
きたあいるらんどこうみんけんうんどう
Northern Ireland Civil Rights Movement
北アイルランドにおけるカトリック差別を正すためにカトリック、プロテスタント両宗派住民が組織した運動。
 1967年2月、北アイルランド公民権協会(Northern Ireland Civil Rights Association)が結成された。その要求は「1人1票(普通選挙)」「選挙区の改正(ゲリマンダリング廃止)」「雇用差別撤廃の法的措置」「公営住宅割当てにポイント・システムの導入」「特別権限法の撤廃」「特別警察の廃止」であった。
 北アイルランドがユニオニスト(プロテスタント)の支配するイギリス領として成立する1921年以降、以前からあったカトリック差別が政治・経済・社会体制として固定していった。それを支えたのが選挙制度であり、治安体制であった。60年代に入り、南北アイルランド首相の相互訪問など政治情勢の流動化に伴って改革の兆しがみえ、上記の要求は民主主義国家として当然の要求であったため、公民権運動はカトリックを主体としながらも多くのプロテスタントを含めての運動となった。69年4月のイギリス下院補欠選挙で21歳の大学生バーナデット・デブリンが公民権系の「人民民主主義」に後押しされて当選するなど、運動の高まりをみせた。それがかえってプロテスタント強硬派には脅威となり、穏健派の北アイルランドのオニール首相を退陣に追い込むなど、激しい抵抗をみせ、公民権運動への直接攻撃を繰り返すこととなった。69年、プロテスタントによる恒例のオレンジ団行進はこうしたなかで行われ、予想どおり両派住民の激突となった。ここから今日の北アイルランド紛争が始まることとなったのである。
 紛争鎮圧のためにイギリス軍が増派されると、これまで活動を休止していたIRAが活発に行動を再開した。そして公民権デモにイギリス治安部隊が発砲して計14人の死者を出した1972年の「血の日曜日事件」以降、北アイルランド紛争はイギリス治安部隊対ナショナリスト準軍事組織、ユニオニスト準軍事組織対ナショナリスト準軍事組織の抗争という三つどもえ構造になって、公民権協会の運動は急速に終息することとなった。[堀越 智]
『堀越智著『北アイルランド紛争の歴史』(1996・論創社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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