@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

北上川【きたかみがわ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

北上川
きたかみがわ
岩手県北西部,七時雨山付近に発し,追波湾に注ぐ川。北上高地奥羽山脈の間を南流,途中東西両山地から流れる多くの河川を合流し,宮城県石巻市中北部付近で北東に方向を転じる。全長 249km。宮城県登米市南東部付近で分流する旧本流は,石巻湾に入る。江戸時代は奥州東部の交通の大動脈で,仙台藩盛岡藩物資の輸送路であった。沿岸には盛岡花巻北上 (黒沢尻) ,江刺 (岩谷堂) ,一関などの河港が繁栄したが,1890年東北本線の開通により舟運は微した。勾配がゆるやかで水量が多く,北上盆地仙北平野灌漑用水に利用されてきた。県境の峡谷部ではしばしば洪水が起こり,下流部では支流流入不能による洪水が多かった。そのため国土総合開発地域に指定され,本支流に四十四田ダム田瀬ダム,湯沢ダム,湯田ダム石淵ダム栗駒ダム花山ダム鳴子ダムなどのダムが建設され,発電,灌漑治水がはかられている。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

きたかみ‐がわ〔‐がは〕【北上川】
岩手県北部の七時雨(ななしぐれ)山にを発して南流し、宮城県の追波(おっぱ)に注ぐ川。長さ249キロ。流域には北上盆地があり、穀倉地帯となっている。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション

きたかみがわ【北上川】
宮城の日本酒。味わいは淡麗辛口。大吟醸酒純米酒本醸造酒など。蔵元の「石川酒造店」は明治15年(1882)創業。現在は廃業は石巻市住吉町にあった。

出典:講談社
(C)Kodansha 2010.
本事典は現在流通している、あるいは過去に存在した本格焼酎・泡盛の銘柄を集めたものです。限定品や終売品、蔵元の転廃業などで既になくなった銘柄も含まれていますのでご了承下さい。それぞれの情報は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

きたかみがわ【北上川】
奥羽山脈と北上高地の間を南流し,仙台平野に出て追波(おつぱ)湾に注ぐ河川。幹川流路延長249km,全流域面積1万0150km2,年平均流量351m3/s(1982)の日本有数の大河である。岩手県の岩手・二戸両郡界にある七時雨(ななしぐれ)山の東方,西岳付近を源流とし,馬淵(まべち)川支流の小繫(こつなぎ)川とは十三本木峠(457m)において谷中分水界をなして,岩手山,姫神山間の厚い火山灰の波状地に狭い段丘を作りながら,西から雫石(しずくいし)川,松川赤川,東から丹藤川などを合流して盛岡に至る。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

きたかみがわ【北上川】
岩手・宮城両県を北から貫流して追波湾に注ぐ川。長さ249キロメートル。七時雨ななしぐれ山付近に源を発する。中・下流域一帯は穀倉地帯。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

北上川
きたかみがわ
岩手県北部、七時雨山(ななしぐれやま)(1063メートル)に源を発し、岩手県を南流して宮城県東部の追波湾(おっぱわん)に注ぐ東北一の大河。一級河川。延長249キロメートル、流域面積1万0150平方キロメートル。東に古生界を主とする北上高地、西に新第三系を主とする奥羽山脈があり、その間の低平な北上低地を流れる。岩手・宮城県境の磐井(いわい)丘陵を切る約20キロメートルの狐禅寺(こぜんじ)峡谷により下流部と中流部に、盛岡付近で中流部と上流部に分けられる。盛岡を下ると沖積低地の幅が広がり、岩手県の低地の主要地域を形成し、盛岡、花巻、北上、水沢、一関(いちのせき)などの都市が分布する。下流部では東の北上高地沿いに緩い峡谷をつくって南流し、西にきわめて低平な沖積地が広がる。中・下流部では稲作中心の農業が行われるが、上流部は水田率が低く、稲作に加えて乳用牛の飼育が行われている。
 北上川の名は「日高見国(ひたかみのくに)」の川、すなわちヒタカミ川に基づくといわれている。この地方が日高見国といわれた古代から、北上川は最大の交通路として利用されていた。近世には、流域の北半が盛岡藩領、南半が仙台藩領となったが、仙台藩では近世初めに下流部の大改修を行い、追波湾へ直接注ぐ河道を、石巻(いしのまき)市鹿又(かのまた)から、一方は石巻湾へ、一方は追波湾へ流し、迫(はさま)川の合流点を付け替え、江合(えあい)川を合流するなどの工事を実施した。これにより、仙台藩領北部と盛岡藩の米が北上川を通じて石巻に集められ、江戸へ海上輸送されることになった。流域には藩庫が置かれ、河港が発達し、石巻には藩の米蔵や役人の屋敷が設けられ、江戸、上方(かみがた)からの物資が集まるなど繁栄した。改修工事は宮城県北部の新田開発をも促した。北上川の舟運は、明治維新後は旧藩時代のさまざまな制約が取り除かれてさらに活発化し、東北経済の大動脈の役割を果たした。宮城県中部、鳴瀬(なるせ)川河口の野蒜築港計画(のびるちくこうけいかく)に伴い、北上川河口の石巻から8キロメートル上流の石井閘門(こうもん)とを結ぶ全長12.8キロメートルの北上運河が1882年(明治15)完成した。これは一時活況を呈したが、野蒜築港の失敗などにより目的を達成できなかった。1889年に東北線上野―盛岡間が完成すると、北上川の舟運は衰退し、鉄道が通らない下流部の河港の多くは繁栄から取り残された。昭和の初め、北上川は登米(とめ)市津山(つやま)町柳津(やないづ)から南へ直線的旧流路を利用して石巻市飯野川(いいのがわ)で追波川と結ばれ、以後これが本流となり、石巻への流路は旧北上川とよばれることになった。1951年(昭和26)の「国土開発法」により、北上川流域は特定地域の指定を受け、1953年から本・支流に治山治水、発電、灌漑(かんがい)のための多くの多目的ダムが建設され、総合的な地域開発が進められた。1975年には、下流部の宮城県石巻市に治水、灌漑、上水用として北上大堰(おおぜき)が完成した。また、北上川の洪水を防止する目的で、一関市では遊水地が建設中である。2011年(平成23)3月11日の東北地方太平洋沖地震では津波が河口から約50キロメートル上流まで遡上した。[後藤雄二]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

事典 日本の地域遺産

北上川
(岩手県盛岡市)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

出典:日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」
(C) Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

きたかみ‐がわ ‥がは【北上川】
岩手県北部の七時雨(ななしぐれ)山に発し、岩手・宮城両県を南流して追波(おっぱ)湾と石巻湾に注ぐ川。北上高地、奥羽山脈の間の低地を貫流する。寛永三年(一六二六)伊達政宗の命により、追波湾に注いでいた流路に加えて石巻湾への新流路を開削。のち交通河川として利用され、盛岡、花巻などの河港が栄えた。流域には北上盆地、仙北平野があり、ともに穀倉地帯。支流に多くのダムが建設され、総合開発が進む。全長二四九キロメートル。

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

北上川」の用語解説はコトバンクが提供しています。

北上川の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation